先日、「浜松・秋の平和のつどい」でドキュメンタリー映画「戦雲(いくさふむ)」を見ました。「ふむ」とは「雲」を言う沖縄方言です。沖縄の過去を語るのではなく、沖縄の中で戦雲が色濃く立ちこめてきている現況の映像による報告記です。
ここ10年ほどの自公政権のやりたい放題の政権運営を見て幾分は予想していましたが、ここまで沖縄、琉球列島、南西諸島の軍事化が進んでいようとは思いませんでした。米国の強い要求による集団的自衛権の受容、軍事予算の対GNP2%への倍増、アメリカ・フィリピン・オーストラリア・その他の国々との合同軍事演習、米軍との統合司令部の設置、空母になる大型護衛艦の建造、長距離弾道ミサイルの開発、民間空港や港湾の自衛隊・米軍との共同使用などは新聞でも時折に報道され、戦時への道備えがされているなあと感じていました。
映画「戦雲(いくさふむ)」を見ると、沖縄・琉球列島、南西諸島全体が軍事基地化、要塞化している現状を確認させられました。沖縄は、第2次大戦末期、激しい地上戦が行われ、島民の4人に1人が戦死したと言われ、戦争に対しては県民全体が反戦、嫌戦の島であると言われ、自衛隊に対する嫌悪感もあると言われてきました。
ところが今や一転しているのです。島の人口が減少し経済が停滞している現状につけ込まれ、自衛隊が来ると人口が増える、お金を落としてくれる、仕事が増える、という甘言に釣られ市町の首長たち、議員たちが招致に動いてしまっているのです。最初は訓練基地、監視所ということから始まり、今や大きな基地となり、巨大な弾薬庫を抱え、水陸両用の戦車、揚陸艦、戦闘機、ミサイル、護衛艦などが大手を振って出入りしています。
沖縄を覆っている戦雲は、さらに大きく米軍の存在です。沖縄は全島で「女性が米兵に狙われる島」となっています。5歳児や小学生の女児が米兵の性的暴行、強姦を受け、生後9ヶ月の女児も強姦の被害に遭っています。拳銃を持った米兵に畑に引きずり込まれて強姦されるケース、店番をしていた少女が犯されるケースもあります。性的被害は表に出てきているものばかりではありません。表沙汰にせずに家族だけで秘密を抱え込んでいる隠されたケースは数え切れず無数にあると言っていいでしょう。
その典型が昨年12月24日に起きた米兵による16歳未満の少女への暴行事件です。事件当夜、母親が警察に通報し取調がなされ、今年3月には県警が書類送検しているにもかかわらず、県警から県への通報もありません。6月25日、公判期日が確定したことでマスコミの知るところとなりました。県警も、検察も、外務省(上川陽子大臣)も、首相官邸も事態を承知していたにもかかわらず、県への通知は一切なく、被害者とその家族への謝罪もなしです。理由は、被害者のプライバシーのため、義務がないため、と言い訳していますが、日本国とその政府は国民を保護せずに見捨てている証拠です。
台湾有事、北朝鮮のミサイル発射などを口実にして、北朝鮮と中国とを「敵視」して、琉球列島に軍備を増強しています。軍拡競争の行き着くところは戦争以外ありません。軍備の撤廃と外交による平和を追い求めてまいりましょう。軍隊(自衛隊)は、島民や住民を犠牲にしても、保護することは決してありません。冷静に「軍隊と国家というもの」の本質を見抜く力を持ちたいものです。今回の花は沖縄の花ハイビスカスとします。(2024/11/9)
2024年12月1日(日)午後2時から、浜松のアクトシティ・音楽工房ホールで、袴田裁判報告大会が行われ、わたしも参加してきました。袴田巌さんと姉のひで子さんも出席してご挨拶がありました。巌さん自身が「ありがとうございました」と感謝した時は、満場の拍手でした。そして、長い間裁判闘争を支援してきた「袴田さん支援クラブ」も、これで終了解散しますという報告がありました。淋しくなったなあ、と感じました。
わたしは、浜松の復興会館を主会場としてなされてきた支援会による毎月1回の定例学習会が楽しみでした。袴田事件において提示された諸課題について、多くの関係者、学者などが講演し質疑がなされました。弁護士、元検事、元裁判官、法学者、心理学者、捜査関係者、ジャーナリストなどが招かれて、それぞれの分野で専門の知識をもって、袴田事件の問題点だけでなく、それを契機として、広く日本の法制度や捜査の在り方、報道の在り方などを取り上げて講演してくれたことは、わたしの知識を広げてくれました。これら一流の方々は手弁当のボランティアであったと思いますが、その結果が結実したと言っていいでしょう。
今回の「報告大会」も、ただ勝った、勝利したというだけでなく、後に繋げるための最後の学習会でした。普通だったら、勝った勝ったと言って映像などを流して終わるところでしょう。しかし、袴田さんの再審を決定し身柄拘束を解いた元裁判長、再審裁判を担ってきた弁護士、冤罪事件で検事を辞した元検事、刑法学者の4人を講師・パネラーとして事件の視点を見据えての刑事裁判の反省点の解明と「再審法」の改正に取り組むための集会でした。
4人の講師は、それぞれ抑制を効かせていましたが、刑事裁判の問題点、再審の課題、再審法の改正への取り組み、憲法の人権規定などを語り合って、最後の学習会に相応しい意欲的なものでした。捜査も裁判もミスを犯します。再審は必要なのですが「開かずの扉」になっています。袴田事件を踏まえて、「再審法」の改正には日弁連が意欲的に取り組んでいますが、法改正には政治が関わります。国会が議決しなければなりません。法務省(法務省の幹部は基本的に検事で構成されています)が改正に消極的です。これを動かすには「世論、与論」の絶大な力が必要です。
袴田事件の記憶と衝撃が大きい間に、国政に訴えていく必要があります。再審法の改正だけでなく、死刑制度の撤廃にも進めていかねばなりません。護憲とは、九条の問題だけではありません。個人の尊厳性を基本として「国民は、すべての基本的人権の享受を妨げられない。この憲法が保障する基本的人権は、侵すことの出来ない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」(憲法第11条)と規定されています。この基本的人権の主張を、刑事裁判のみならず、あらゆる方面で確立していく闘いが、わたしたちには託されているのです。今回の花は皇帝ダリアとします。(2024/12/6)
2024年12月10日、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が、2024年度ノーベル平和賞を受賞しました。同日夜のテレビで、ノールウェイのオスロ市庁舎で行われた授賞式の光景を見、代表者の1人田中熈巳さんの演説・訴えを聴きました。
今日、至るところで戦争や内乱が続き、核兵器を持つ国による核の恫喝がなされています。このような状況を絶好の好機として捕らえ、日本政府は軍事予算を倍増し、核兵器の保有へと意欲を燃やしているのが現状です。国連で2017年「核兵器禁止条約」が採択され、94カ国が署名、73カ国が批准しています。にもかかわらず、唯一の被爆国である日本はこれに参加せず、締約国会議にオブザーバー参加さえもしていません。
その中での「被団協」のノーベル平和賞の受賞です。記念碑的な価値があると言っていいでしょう。世界に広がる核抑止論と日本政府の対応に対する抵抗の表明です。田中熈巳さんは、ご自身と家族の被爆体験の悲惨な現実を語り、「受忍論」に立つ日本政府の無慈悲な取り扱いを語り、国外にいる被爆者への配慮と共に、被爆者への補償と援助に取り組んできた被団協の苦闘の歩みを語りました。日本政府への告発の言葉とも言えるでしょう。
それと共に、田中さんが明確に語ったのは核兵器への廃絶です。核抑止論に立つのではなく、核兵器は極めて非人道的な殺戮兵器で人類と共存できないものであり、速やかに廃絶しなければならないと訴えました。戦後、「核のタブー」が語られてきました。それは被団協やその他の核廃絶に取り組む人たちが大きな役割をしてきたからです。しかし今日、世界はタブーなき戦争の時代を迎えています。核の威嚇、恫喝が大手を振ってなされ、いつ使用されてもおかしくない時になっています。
田中さんは、今、地球上には1万2千発の核弾頭が存在している事実を指摘し、広島・長崎で起こった悲惨な出来事の数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することになると警告しています。だれが、いつ、どこででも、核兵器の被害者になり、加害者になってもおかしくないのです。核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論の矛盾を指摘し、核兵器は一発たりとも持ってはならない、速やかに廃絶してほしいと訴えました。そして、核廃絶のために、世界中で取り組んでほしい。「人類が核兵器で自滅することのないように」と叫んで、核兵器も戦争もない世界を、協力して考え、構築することを、各国政府に訴えてほしいと語りました。
この熱い訴えを聞いても日本の石破首相は極めて冷淡です。受賞には「おめでとう」と言いながら「核兵器禁止条約」への参加どころか、オブザーバー参加も極めて困難と語っています。核抑止論に基づく核の傘の幻想が根強くあるのです。報復戦争の論理であり、アメリカの核兵器利用の容認であり、日本を再び核の惨禍に巻き込む道筋です。わたしたちは今こそ、核兵器は人類を絶滅に至らせるものであることを認識して、核兵器廃絶にしっかり取り組んでまいりたいものです。今回の花は高貴な花、牡丹とします。(2024/12/13)