· 

第8回 「ありがとう」って言おう

聖書=ルカ福音書17章11-19節

イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 

 5月12日は「母の日」です。お母さんに感謝を表す日です。今回は、この聖書の箇所から「感謝する」ことの大切さについてお話ししましょう。

 実は、わたし自身は、感謝することが不得意です。牧師をしていましたから、教会員に対しては「ありがとう」と言いますが、子どもや妻に対してはなかなか「ありがとう」と口に出しては言いがたかったのが実際です。しかし、親しい間でも「ありがとう」と語ることが大事なのではないでしょうか。思い切って「ありがとう」って言ってみましょう。

 主イエスが弟子たちと一緒に道を歩いていました。あるところに来ると、向こうから10人の人たちが一群れとなってイエス様の方に向かって大きな声で、「イエス様、どうぞわたしたちを助けて下さい」とお願いしました。「どうしてほしいのですか」と、イエス様は尋ねました。その人たちは「わたしたちは重い皮膚病にかかっています。なおしてください」と、お願いしました。

 この人たちはもう何年も何年も、この重い皮膚の病気で苦しんできました。しかし、だれも助けてくれません。そこでイエス様だったら助けてくれるかもしれないと思って、10人が一緒になってやって来たのです。イエス様はこの人たちの病を見て、心から可哀想に思った。そして、この人たちを愛して、助けてあげようと決心しました。

 イエス様は、こうおっしゃいました。「エルサレムの神殿に行きなさい。そして、神殿にいる祭司に体を見せなさい」と。10人の人たちは驚きました。イエス様が手を伸ばして触ってくれるか、治るように特別なお祈りをしてくれるかと、思っていました。ところが、ただ「祭司のところに行きなさい」と言われただけでした。本当に大丈夫だろうか、治るんだろうか、考え込みました。でも、せっかくのイエス様のお言葉ですから、お言葉通りにしてみよう、そう考えました。10人の人はイエス様のお言葉に従って、エルサレムの神殿めざして歩み始めました。この個所の大事なポイントの1つは、イエス様のお言葉に従うことです。

 10人の人たちは、神殿を目指して道を歩いていきました。するとどうでしょう。しばらくすると、「おい、俺の体、変わってきたぞ」、「あっ、僕もだ、皮膚がきれいになってきたぞ」と叫び出した。みんな自分の体を改めて見てみました。すると、10人の人全部、重い皮膚の病が治っていました。大急ぎでエルサレムの神殿に行って、祭司から「ハイ、あなたは治っていますよ、あなたも治っていますよ」と、全部の人が治っていると太鼓判を押してもらいました。10人の人たちは本当に喜びしました。そしてそれぞれ自分の家に戻っていきました。

 けれど、一人だけハッと気がつきました。「イエス様に治していただいたんだ。イエス様に『ありがとう』と感謝を言わなければ…」と思い直しました。この人は大急ぎで来た道を戻ってイエス様にお会いしました。「イエス様、ありがとうございます」、そう言ってイエス様の前にひれ伏しました。これが最も大切なことです。「イエス様、ありがとうございます」、何度も何度も言いました。主イエスは、この感謝の言葉をたいへん喜ばれました。「ありがとう」という感謝の思いの表明は、自分の心をきれいにし、相手を本当に喜ばす言葉なのです。

 そして主イエスは、「あなたは体が治っただけでなく、心もきれいになっていますよ」とおっしゃいました。主イエスは、この人のイエスへの感謝の言葉と想いを「あなたの信仰」と見てくださいました。感謝の想いを言葉で表すことは大切なことです。礼拝の賛美は神への感謝の言葉です。イエス様だけでなく、人に親切にされたとき、助けてもらったとき、心から「ありがとう」と感謝を率直に表す者でありたい。そしたら、相手の人も喜んでくれ、わたしたちの心もきれいになり、暖かくなるのです。