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第35回 軽率なひと言

聖書=ヤコブ書3章6-10節

舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。

 

    最近は多くの政治家や大臣たちが放言や失言で責任が問われています。言葉の重さ、真実が失われていると言っていいでしょう。しかし、これは決して政治家たちだけのことではありません。今回はこの聖書箇所から「軽率なひと言」という題で、わたしの失敗からお話しします。

 少し前のことです。教会に出入りしている印刷機の業者の方が新しい機種の説明に来られました。忙しくしている最中でしたので、「今は忙しいから後にしてくれ。そんな新しいものを買う余裕はないよ」と荒い言葉で追い返してしまいました。後から上司の方が来て、「彼女、いつもの先生と違うんで驚いていました」と言って、詫びを伝えてくれました。お詫びしなければならないのは、こちらでした。

 またある時、教会員の方が約束したことが出来ていないことがあり、つい「いい、いい、わたしがしておく」と言ってしまいました。その方がいろいろな問題を抱えて悩みながらも、なんとか仕上げようとしていたことを知らずに、突き放してしまったのです。後から事情を聞いて「ごめんなさいね」と謝りました。

 人は言葉なしには生活していけないのですが、その言葉でしばしば失敗してしまいます。ユダヤ人の小話にこんな話があります。ご主人がしもべに「世の中で一番おいしく上等なものを買ってくるように」と命じました。すると、しもべは肉屋さんから牛の舌を買ってきました。料理すると、とても柔らかくおいしく味わいました。そのご主人は感心して今度は、こう命じました。「世の中で一番まずく、下等なものを買ってきなさい」と。

 するとしもべは、また牛の舌を買ってきました。ご主人は不審に思って「なぜ、お前は一番おいしいものをと言ったときに牛の舌を買ってきて、今度は一番まずいものをと言ったときにも同じ牛の舌を買ってきたのか」と言いました。すると、しもべは「世の中に良ければ舌ほど良いものはなく、悪ければ舌ほど悪いものはありません」と答えたと言うことです。なるほど、今度の舌の肉は固くて食べられなかったと言うことです。「ユダヤの知恵の書」に書いてあるそうです。

 これは単なるお肉の話ではありません。「舌」とは、毎日の生活の言葉の問題です。わたしたちの暖かな言葉は、本当に悲しむ人を慰めます。力づけ励ますのも言葉です。しかし、同時にその言葉が人の心を突き刺すこともあるのです。わたしたちは、お互いに「軽率なひと言」で人を刺すような悪しき舌に接したことはないでしょうか。いや、わたしたちは舌の被害者であるだけではなく、加害者になることもあります。たいへん悩ましいところです。そして時には、軽率にと言うだけのことではなく、計算し尽くした悪意に満ちた言葉の剣に出会うこともあります。

 最後に、旧約聖書・箴言12章18節をお読みします。「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す」。わたしたちの生来の舌は死の毒に満ちているのです。人を傷つけてしまい、人の心を刺してしまいます。しかし、その同じ舌が、人を癒やすのです。赦し、癒やす舌ともなります。それは、キリストに出会って変わるのです。キリストは「生けることば」と言われます。神のことばです。神の愛を伝える言葉です。この神の生けることばであるキリストを信じるところで、わたしたちのことばも変わってまいります。人を愛し、赦すことば、人をいやすことばを紡ぎ出すことを祈り求めていきましょう。キリストに出会い、キリストに在って、人を赦し、いやすことばが与えられることを祈り求めてまいりましょう。