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第43回 新たに生まれなければ

聖書=ヨハネ福音書3章1-8節

さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

 

    新年、おめでとうございます。新しい主の年、2020年も、どうか続けてお読みくださるようにお願いいたします。今回は、新年に当たって「新しく生まれる」ことをお話ししたいと思います。キリスト教では「新生」、あるいは「再生」と呼んで、信仰の出発点に立つことを意味しています。

 ニコデモという人が登場します。彼はユダヤの最高議会・サンヘドリン議会の議員で、もう相当な年齢になっていたようです。この人が「ある夜、イエスのもとに来て言った」。ニコデモがイエスを訪ねた時、人目を避ける気持ちがあった。イエスを訪問したことが人に知られたら、どんなことを言われるか分からない。そこで人目を避けて夜、来たのです。ニコデモはこう切り出した。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています」。イエスの行うしるしを見て驚いた思いが語られている。信者ではなく、イエスに興味を持った求道者です。

 イエスは求道者のニコデモに応えます。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることは出来ない」。「はっきり言っておく」とは、アーメンという言葉です。イエスはこれから語ることは大事なことだと言われた。「新たに生まれる」とは「上から」とも訳せる言葉です。しかし、この言葉を聞いてニコデモは「もう一度、生まれ直す」と誤解したのです。もう一度年老いた者が母の胎に入り生まれ直すことが出来るかと疑問に思った。

 イエスが語られたのは上から生まれることです。もう一度、母の胎に戻って生まれ直しても、肉から生まれるものは肉です。神の国に入ることは出来ません。イエスはさらに語ります。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。…霊から生まれる者は霊である」。上から、つまり神によって、神の霊によって生まれることが必要なのです。わたしたちはよく言います。「生まれ変わった気持ちになって頑張ります。生き直します」と。そう思って教会に来る人もおられます。しかし、主イエスがここで語ることは単なる人生のやり直しではありません。全く別のこと、神によって生まれる霊的な誕生なのです。

 「上から、神によって生まれる」とは、生まれるという言葉で表される全く新しいいのちを獲得することです。人は例外なしに、罪によって堕落した状態で生まれて来ます。思うこと、語ること、行うこと、すべてが神から離れ、神に従うことが出来ません。このような罪によって霊的に死んでいる状態の人間が救われるためには、新しいいのちを獲得する以外ないのです。イエスは、上からの、神による霊的な誕生が必要なのだと言われたのです。霊的ないのち、新しいいのちに生まれる以外に神の国に生きる道はないと、生まれるという言葉で「霊的ないのちの獲得」の事柄の真実を伝えようとしているのです。

 新しく生まれることは、自分自身で行うことは出来ません。肉体の誕生でも自分で生まれてくることは出来ません。赤ちゃんが自分で志願して生まれるものではありません。親が生んでくれるのです。全くの受け身です。霊的な新生も同じことです。主は言われます。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国を見ることは出来ない」。神が、人に神の霊を与えてくださり、神の霊によって救いの中に生み出して下さるのです。

 主イエスはこの霊的な誕生を「風」に例えています。イエスは、風にこと寄せて霊による誕生を語っていきます。「風は思いのままに吹く」と言われた。聖霊なる神の主権性を言い表したものです。人を救うことは神の主権です。神はあえて無きに等しい者を愛してくださいます。どうか、お祈りをしてみてください。「神様、わたしを助けてください。わたしを救ってください」と。神に向く心が与えられているのは、聖霊なる神があなたに、わたしたちに働いておられる証拠なのです。祈りが出来る人は、神の霊が与えられて、神の霊によってすでに新しく生まれているのです。