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第53回 ヴィア・ドロローサ

聖書=ルカ福音書23章26-27節

人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。

 

 教会暦によると、今、わたしたちは主イエスの受難を覚える「レント」の時を過ごしています。イースター(復活節)に先立つ40日間を、英語でレントと言い、主イエスの十字架の受難を覚えて時を過ごします。信徒は、自分の罪を真実に覚えて悔い改めをし、求道者や未陪餐の人たちは信仰告白のための準備に励む大切な時です。キリスト教では、他の宗教のように食物の禁忌はありません。またプロテスタント教会では定まった断食日などもありません。しかし、レントの期間は飲酒などを慎み、節制し、祈りの時を持つようにしています。今年、2020年のイースター(復活節)は4月12日です。この日を目指して、祈りの時を過ごしてみませんか。

  今回は、上記の聖書個所から主イエスのご受難にまつわることをお話しします。主イエスは、総督ピラトによって十字架刑の判決を受け、総督官邸から処刑場のゴルゴダの丘に至る道を歩まれました。今日、その道は「ヴィア・ドロローサ」(悲しみの道)と呼ばれています。約2キロほどの道のりです。十字架に架けられる囚人は自分が架けられる十字架を背負って歩かされます。主イエスも犯罪人の一人としてその道を十字架を担って歩まれました。

 今日、エルサレムでは毎週金曜日の午後になると、主イエスの十字架への道行きを再現しての行列が行われています。カトリック教会、ギリシャ正教会などの司祭が先導して、世界中から来る多くの巡礼者が大きな木の十字架を担いで「ヴィア・ドロローサ」(悲しみの道)を練り歩きます。100メートルから150メートル近い大行列になります。わたしも20年ほど前にイスラエルを訪問した時に、何度か見たことがあり一度は後について全部を歩いてみました。

 ここに、キレネ人シモンのことが記されています。キレネ人シモンは、主イエスに代わって十字架を担った人です。この人は、どういう人だったのでしょう。恐らくエルサレムへ巡礼に来て、折悪しくと言っていいでしょう、ローマの兵隊に捕らえられて強制的に十字架を担わされのです。イエスはもうこの時、疲労困憊していました。最後の晩餐の後、ユダヤ教当局者たちに捕らえられてから休む暇はまったくありませんでした。

 次から次へと引き回され、尋問され、裁かれ、罵られ、むち打たれ続けた。わずか2キロほどの道のりですが重い十字架を担って道を歩き続けることが出来なかったのです。そこでローマの兵隊がシモンを強制徴用したわけです。「お前が代わって担いで行け」と。シモンは仕方なくイエスの担う十字架を強制的に担がされました。

 このシモンは後にキリスト者になり、教会の指導者になったと言われています。主イエスの十字架を担って、主と共に十字架への道行きをした人として、キレネ人シモンの名は今も、記憶され続けています。十字架を担って主のみ跡の後に続くべき私たちのお手本とも言える人です。

 シモンが十字架を担いだのは強いられてでした。イエスを愛していたわけではない。十字架の意味が分かっていたのでもない。奉仕の精神で担ったのでもない。強制され、やむを得ずに担ったのです。しかし、彼はやがて自分の担った十字架の意味が分かるようになりました。それは十字架に付けられたイエスのお姿を実際に見た時です。自分を十字架に付ける者たちのために祈るイエスのお姿、犯罪人の一人に「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われたお言葉。それらのお言葉とお姿の中で、自分の担った十字架の意味を悟っていったのです。

 マルコ福音書では、このシモンのことを「アレクサンドロとルフォスとの父」と紹介しています。彼の子らは初代教会の有力な信徒となり、彼の妻も信徒になっています。シモンは強制されて十字架を担うことによって、主イエスと出会い、やがて家族もキリスト者となりました。福音書記者ルカは、主イエスの跡を十字架を担って従うシモンの姿を描いて、ここにキリストに従って十字架を担う弟子たちの姿があると示しているのです。

 今日、わたしたちもそれぞれ自分の十字架を担って主イエスに従うように求められています。わたしたちは自分の自由な意志で従っているように思います。しかし、よく考えると神による強制なのです。神に捉えられて担わされているのです。恵みの強制と言ってよいでしょう。わたしたちも十字架を担わされています。エルサレムの小道ではありませんが、主に従う道はどこにでもあります。わたしたちのために十字架を担ってくださる主が、「あなたもこの十字架を担いなさい」と求めておられるのです。