聖書=コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章20-24節
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。
今度の日曜日、2020年4月12日は「イースター」です。日本語では「復活節」と呼ばれています。新型コロナウィルスの感染禍によって礼拝が出来ない教会もあるようです。速やかに収束することを祈りましょう。今回は、上記の新約聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章20-24節から、主イエスの復活に関わるみ言葉に耳を傾けて参ります。
イースター(復活節)は、キリスト教会の最も古い、最も大切な記念の祝日です。主イエス・キリストは十字架で死なれました。主イエスは、わたしたちすべての者のすべての罪を背負って、神に裁かれ、十字架に死なれました。そして墓に葬られました。主イエスもわたしたちと同じように墓に葬られた。人はどんな人でも、長寿であるかどうかはいろいろですが、どんな人でも死を経験します。主イエス・キリストも死と葬りを経験されました。
けれど、主イエス・キリストは墓に葬られてから三日目に、墓の中からよみがえりました。墓は空となり、主イエスは生きているお姿を多くの弟子たちの前に現れされました。復活したのです。イースターは、この記念の期です。主イエス・キリストは今も、生きておられます。主イエスの弟子たちは復活の主イエスを目の当たりにしました。十字架につけられ殺されたお方が、生きて弟子たちの前に現れた。弟子たちは驚きました。疑いました。しかし、現実に生きたキリストにお目にかかったのです。
このキリスト復活の記念日が「イースター」、復活節として世界中で祝われています。キリスト教の中でギリシャ正教という教会があります。この教会ではイースターの時期には、信徒同士、町で会う人同士で「主はよみがえられた。主は生きておられます」という言葉を挨拶として用いているとのことです。
わたしは、真の宗教、本物の宗教は人間の最も究極的な課題である死を解決するのでなければならないと考えています。そして、キリストの復活こそキリスト教信仰が真実の宗教であることを示す最も大きなしるしであると理解しています。人は生まれたならば、必ず死を経験しなければなりません。遅いか早いか人は死なねばならない。そのため、死をやむを得ないことと受け止めています。しかしそれは、あきらめに過ぎません。死に対する解決がないのです。
しかし、主イエス・キリストは十字架の死によって罪と死の問題に代償的贖罪をもって解決を与えてくださいました。そして、三日目の復活によって死の問題を解決してくださいました。主イエスは死んだ後、三日目に文字通り身体の復活をもって死に勝利し、永遠の命を獲得してくださいました。キリストは今も生きておられます。これがキリスト教の信仰の核心です。
「実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」。キリストの復活は、キリスト一人のことではありません。キリストを信じる者は、その信仰によってキリストに結ばれます。キリストに結ばれて「あなたの罪は赦された」と赦しをいただきます。それだけでなく、キリストに結ばれてキリストの復活の命をいただくのです。キリストの復活は「初穂」であると記されます。小麦の収穫で初めに一株が刈り取られて奉献されます。するとまもなく、畑全体が収穫されます。キリストの復活は最初の一株の収穫です。その後、終わりの時、キリストに結ばれているすべての者は同じ復活の恵み、永遠の命の恵みにあずかるのです。
主イエス・キリストを信じて復活のキリストに結ばれるなら、死はもはやわたしたちに勝利することはできません。死に勝利する復活の命がわたしたちに与えられるからです。あなたも、この復活のキリストを信じて復活の命をご自分のものとしてください。