聖書=使徒言行録2章1-4節
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
皆さまは、今、どのようにして生活しておられるでしょうか。新型コロナウィルス感染禍の中で、教会に集まって礼拝が出来ないという方々もおられるでしょう。今度の日曜日、5月31日は教会暦に従えば「ペンテコステ」(聖霊降臨日)と呼ばれる教会の祝祭日です。キリスト教会の誕生を祝う大切な時です。しかし、今年はみんな一緒に会堂に集まって喜び祝うことが出来ないのではないかと思っています。
けれども、ペンテコステの意味と重要性とは決して消滅するものではありません。むしろ、しっかり覚えて、一人ひとりの信仰者の心の中で記念し祝ってまいりましょう。主イエス・キリストの到来(誕生)、受難、十字架の死、復活、昇天、神の右の座に着く、そして聖霊の降臨、これらが神の救いの歴史の中で、一続きのものとして理解することです。
天に上げられた主イエス・キリストは、昇天の時に約束されたように50日目に「聖霊」をお与えくださいました。弟子たち一同が集まっている時に、大きな音がし、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」のです。「すると、一同は聖霊に満たされた」と記されています。聖霊は、今までには預言者・祭司・王という一部の人たちに限定して与えられていました。しかし、この時から、集会に集う「一同」、すべての人に分け隔てなく与えられました。聖霊が与えられて、新約の教会が誕生したのです。
このようにして与えられた聖霊の最も大きな働きは、人の心に働いてイエス・キリストを信じる信仰を持たせて下さることです。聖霊降臨とは、エルサレム神殿の内にいたディアスポラと言われていた人たちをも含めて、多くの人たちが、弟子たちの語る福音の説教を聞いて理解し、受け入れ、信じてキリスト者となったということです。それがまことにめざましく起こった。1日で3千人の人が主を信じたと記されています。
ある人は、聖霊がはっきり分からない、と言います。確かに聖霊をわたしたちの目で確認することはできません。しかし、聖霊こそ、わたしたちの最も身近に、わたしたちの中に住み、わたしたちをキリストに導き、キリストに結ぶ働きをしてくださるのです。イエスがまだこの地上におられたとき、弟子たちにこのように教えられました。「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである」(ヨハネ福音書15:26)、「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ福音書16:13)。
イエスの弟子たちは、弟子となった最初からキリストの十字架の意味や復活の重要さが分かっていたのではありません。むしろ、何も分かっていなかったと言っていいでしょう。自分たちがメシア・救い主だと思ってきたお方が十字架につけられて殺されてしまった。そのため絶望し、自分も同じ目に遭うかもしれないと恐れて逃亡し、戸を閉じて身を隠していました。
しかし、この不甲斐ない弟子たちが今、別人のようになった。十字架にかけられたお方は死んでよみがえった。このお方こそ罪を贖うキリストなのだ、と公然と多くの人の前で宣べ伝えたのです。このように弟子たちを変えたのは聖霊の働きです。聖霊によって弟子たちはイエスの教えられたこと、十字架と復活の意味などを改めて悟り、確信したのです。パウロは「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えない」(Ⅰコリント12:3)と記しました。聖霊の働きは、主イエスのお言葉、その働き、その御業の意味をわたしたちに教えて下さるのです。聖書を読んでみよう、キリストを信じたいと思っている方は、すでに聖霊の働きを受けているのです。聖霊の導きに従って、祈りの中で「イエスは主である」と告白し、祈ってみて下さい。あなたも変えられます。