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第66回 差別を超えるキリスト教信仰

聖書=使徒言行録11章5-9節(10章1-11章18節)

「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。」

 

 今、アメリカを始め多くの国々で黒人差別に対する抗議活動が起こっています。トランプ大統領はデモ隊を制圧して、教会の前で聖書を振りかざして自分の言動は「聖書的だ」と誇示しているようです。しかし、聖書は人種・民族差別だけでなく、すべての差別に対して「ノー」を語るのです。上記の聖書個所だけでなく、使徒言行録10-11章全体をお読みください。

 日本には人種差別や民族差別などはないと思っている人が多いかもしれません。しかし、わたしたちの中にも人種差別、民族差別が根強く残っているのです。わたしたちの無意識の奥底に眠る差別意識、自民族中心主義に気づかねばなりません。

 ユダヤ人も強い差別意識を持っていました。自分たちは選民だと言い、異邦人は救われざる汚れた民と考えていました。これはユダヤ教からキリスト教に変わった人たちも例外ではありません。復活のイエスによって全世界への福音宣教を命じられていた弟子たちでも例外ではありません。この民族的な障壁を突破させたのが、ペトロに示された上記の幻の意味なのです。

 旧約時代には、「清い動物」、「汚れた動物」という区分けがありました。これは決してユダヤ人の単なる慣習とか常識ではなく、旧約聖書レビ記に基づくものです。「清い動物」は食用にでき、「汚れた動物」は食べることも触れることも禁じられていました。ここから異邦人は汚れた民とされ、接触することも、まして一緒に食事することも禁じられていました。使徒たちやユダヤ教から変わった最初期のキリスト者たちも、この食物規定に基づく差別意識の中にあったのです。この差別意識があっては、世界宣教も健全な教会の形成も不可能です。

 神は、ペトロに幻を示されました。1つの大きな入れ物の中に「あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥」が入っており、屠って食べることが命じられました。清い動物も汚れた動物も一緒にです。ペトロはそれらを見て、当然拒否します。ところが、神は「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」と繰り返し語られました。そして、ここからペトロによる異邦人伝道が始められ、異邦人にも聖霊が降臨し、異邦人教会が誕生したのです。

 この出来事は、単なるユダヤ人と異邦人の区別、差別だけの問題ではありません。すべての人は「神の被造者」です。ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、男も女も、老人も若者も、すべての障壁が取り外されているのです。これが使徒言行録の最初に起こった聖霊降臨の出来事が示すことなのです。「神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する」(使徒言行録2:17-18)。旧約の時代は終わり、キリスト教会はすべての差別の壁を取り除いて、世界の万人のためのキリストの教会を建てることが求められているのです。

 差別は人の意識の根底に潜んでいます。わたしたちは、この無意識の差別に気づき、これに「抗って」行かねばなりません。内なるトランプさんと戦ってキリストの教会を建てていくのです。