聖書=マタイ福音書15章29-31節
イエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして、山に登って座っておられた。大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。
主イエスは、この時まで地中海沿岸の異邦人の地に出かけていました。そして再び、ガリラヤ湖畔に帰り、湖畔のほとりの小高い山に登り、弟子たちに教え始めたのです。すると、イエス様が帰ってきたというので、大勢の「群衆」と言われる人たちが集まってきました。「群衆」と訳されている言葉は、マタイ福音書では「飼い主のいない羊の群れ」を意味します。その人たちは自分たちだけでなく、多くの障がいを持つ人たち、心身を病む人たちを伴って集まって来たのです。ここに簡潔に記されている情景は、イエスが生涯にわたって各地で行われた伝道活動の集約的な表現と言って良い情景描写なのです。
この個所だけではありません。イエスの周りを取り囲んでいたのは、当時のユダヤ社会では差別され、疎外されていた人たち、力なき人たち、でした。ユダヤ人から軽蔑されていた異邦人、サマリア人、徴税人、遊女、罪人と言われていたヤクザな人たち、女性や子どもたち、このような人たちがイエスを取り囲み、いやしを求め、交わりを求め、赦しと生きるための指針を求めて集まっていたのです。
イエスの「弟子」と言われた人たちも決してエリートではありません。ガリラヤ湖の漁師、徴税人、熱心党という国粋主義者、地方出身者などでした。イエスは、これら弟子たちを連れて、あちこちを巡回伝道し、各地で集ってくる人たち、障がいを持つ人たち、心と体を病む者たち、社会的な保護を失った「やもめ」、「重い皮膚病」という社会的な差別を受けた人たちなどを、しっかり受け止めて、御言葉・神の言葉を語り教え、御手を置いていやし、平安と赦しを与え、神の恵みと祝福を伝えていたのです。
ガリラヤ湖畔やユダヤの地だけでなく、当時、異邦人の地と言われていた地中海沿岸の地方、デカポリス地方、サマリアの地をも繰り返し訪れました。ユダヤ人から「異邦人」とさげすまれ、交わりから拒絶されていた人たちの住む地です。その異邦人の地に住む人たち、病む者たち、障がいを持つ人たち、多くの人に分け隔てなく、神の言葉を語り、いやしを行われました。
わたしたち今日、福音書を読む時、注意深く、イエスの対話の相手、イエスの伝道の相手についても注意を払わねばならないのです。いったい、イエスはどのような人たちを相手に話されていたのか。いったい、イエスはどのような人たちを相手に、神の言葉を語り、いやしを行い、神の恵みの到来を告げられたのか。ひと言で言えば、当時の社会的な弱き者たち、社会的に疎外された者たち、落ちこぼれた人たちです。あまりいい言葉ではありませんが、あえて使います。このような人たちは、今日も弱者として取り扱われます。このような人たちが、イエスを取り囲み、主イエスから神の言葉を聞いて力を得、慰めを得ていたのです。
今日、オリンピック・パラリンピックの組織委員会のことから始まって、ジェンダー(性別)差別のことが国民的な課題として問題になっています。しかし、日本では差別はジェンダーだけの問題ではありません。肌の色、人種、民族、学歴、生い立ち、……あらゆる種類の差別が存在しています。外に現れた差別だけではありません。わたしたち日本人には、意識の深いところに差別意識が根強く深く残っています。その根底にあるのは自民族中心主義、日本人優越主義です。わたしは、そのような差別の根っこには天皇信仰が存在していると見ています。そして、これらの差別に出会って、痛み、悲しみ、苦しみ嘆く人たちが数多くいるのです。天皇信仰を基盤とした自民族中心主義、優越主義に基づくいろいろな差別によって多くの人たちが苦しめられ、はじき出されているのです。
イエスは、力を持つ支配者たちの側ではなく、弱さを担って苦しむ人たちの側に身を置きました。差別され、はじき出される人々の味方です。今もこのような多くの社会的な差別の中であえぐ者たちに、いやしと生きていくための力を与えてくださいます。イエスの前に来て、人間存在の深いところでイエスに出会った経験を持つところで「いやし」が与えられるのです。
イエスは、どのような弱さを持つ人に対しても、差別なく、いのちの言葉を語り、赦しと平安を与えてくださいます。このイエスに出会って、わたしたちの中に根深く存在する恨みや蔑みの感情がしだいに溶けていくのです。そして生きる力を与えられて、「神を賛美するもの」へと造り変えられていくのです。あなたも、主イエスのもとに身を寄せて生きてまいりましょう。