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第121回 心を合わせて祈るところ

聖書=マタイ福音書18章18-20節

はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

 

 皆さまは、「教会」というものを、どのように考えていますか。いかめしい大きな教会堂を見たら、引っ込んでしまいます。中に入るといろいろな人がいて「自分などは…」と尻込みしてしまう。しかし、教会は、いかめしいものでも、尻込みするようなものでもありません。教会は小さな集まりでいいのです。最近、わたしは、そのように思うようになりました。

 上記の言葉は、主イエスの語られた言葉です。「教会」の実質的な在り方が語られています。教会は「祈りを一緒にする群れ」ということです。この場合の祈りは、一人の祈りではありません。勿論、一人の祈りは祈りではないなどということではありません。祈りは、いつも一人です。けれども、一人では教会ではありません。どんなに信仰熱心な人、いつも聖書を読んでいるような人でも、一人では教会ではない。教会とは交わりなのです。交わりは一人では出来ません。少なくても二人、三人はいなければ交わりは成り立ちません。二人、三人が一緒に祈る。共に神を呼ぶ。それが教会だ、「わたしはその中にいる」と、主イエスは言われたのです。

 これが教会というものの本当の姿です。教会の力は、ここにあるのです。てんでんばらばらの信仰ではなく、一つの信仰に立っている。その信仰者の群れの人数は少なくていい。その信仰者の群れが、熱心に神を呼んで祈り、執り成し、悔い改め、神の栄光を求めていく、そこに本当に力強い教会が形づくられていくのです。

 なぜ、祈ることが教会にとって大切なことなのでしょう。「祈り」ということと、「教会…交わり」ということを、しっかりと考えることが必要です。祈りは、何かの必要な願いを神に申しあげることですが、祈りの基本は「父なる神よ」と神を呼ぶことです。教会の交わりとは、共に集まり、共に神を呼ぶことです。これが「交わりとしての教会」の在り方です。

 このような祈りの群れの中に、イエス・キリストが臨在してくださるのです。上記の言葉は、この主イエスの約束の言葉です。ここでの「神を呼ぶ祈り」は、狭い意味での祈りの集会、祈祷会だけのことではありません。宗教改革者カルヴァンは、公同礼拝のことを「祈りの式」と呼びました。公同の礼拝も祈祷会もその他いろいろな祈りをする集会を全部ひっくるめて「教会は神を呼ぶ信徒の群れ」なのです。「天の父よ」と、集う者たちが心を合わせて祈るところにキリストが臨在しておられるのです。

 キリストが臨在しておられることが最も大切なことです。キリストが臨在されるところに罪の赦しがあります。全ての問題の解決があります。どんなに有力な人がいても、すばらしい説教者がいても、どんなに多くの人が集まっていても、キリストが臨在されないと、一切は空しいと言えます。イエス・キリストが臨在されるところ、そこにだけ悔い改めがあり、罪の赦しがあり、永遠の生命があり、一切の問題の解決、平安があるのです。

 キリストは、「二人または三人が、わたし(キリスト)の名によって集まるところには、つまり、祈りをするようなところに、わたしもその中にいるのである」と約束しておられます。ここに、祈りの確かさ、祈りが聴かれるのです。「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」。「かなえてくださる」ということは、祈ったことが実現するということです。

 祈りは、インスタント食品みたいなものではありません。自分勝手な祈りが思い通りに応えられるというものでもありません。けれども、祈りは応えられるのです。聖書は至る所で、祈りが聞かれることを記しています。「二人が地上で心を一つにして求めるなら」と記されます。「二人でなければ」というのではありません。複数の人ということ、つまり祈りの群れの中でということです。多くなくていい。数人の人が心を一つに合わせて祈ることは、必ず聞かれるのだ、と約束されているのです。教会の交わりの中で祈ることの大切さは、ここにあるのです。

 主イエスは、祈りをする群れの中に「わたしも共にいる」と約束して下さっています。このキリストのもとに罪の赦しがあり、永遠の生命があり、一切の問題と悩みの解決があるからです。教会が生きて働く力の源は、二人、三人がキリストのみ名によって集まり祈るところにあります。心を合わせて祈り、兄弟のためにとりなしをし、隣人をキリストに導くための奉仕の業に励んでまいりましょう。