聖書=ヨハネ福音書4章13-15節
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。
夏の盛りになっています。コロナ禍の中で、マスクをして過ごすのはたいへんな時期になっています。しだいにワクチンの接種も進んでいるようで、長いトンネルの先に少しの光が見えてきていると言えるでしょう。今回は夏にふさわしい「いのちの水」についてお話ししましょう。
だいふ以前のことになりますが、沼津の教会から特別伝道集会の講師に招かれました。集会が終わった後に、その教会の牧師さんのご案内で、有名な柿田川の湧き水、柿田川湧水に連れて行っていただきました。国道1号を少し入ったところですが、林の中のあちこちに富士山から何十年、何百年もかけて地下を流れてきた水が、滾々(こんこん)と湧きだしていました。
地の深い底から、ドッドッと湧き上げてくるもの、岩の間からサラサラと流れだしているところと、いろいろな仕様で大地の底からきれいに澄んだ水が大量に湧きだしているのです。しばらく感動して見惚れ、眺めていました。その湧き水から掬い取った水を飲んでみました。冷たく、何とも言えないおいしい水でした。
その瞬間、わたしは、主イエスがサマリアの町の井戸の傍らで一人の女性に語られたお言葉を思い出しました。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」。
今日、いろいろな水が販売されています。ミネラルウォーターや各地の天然水、名水と言われるものがボトルに入れて売られています。確かに、普通の水道水よりはおいしいでしょう。しかし、どんな名水を飲んでも、また喉は渇くのです。これは決して水のことだけではありません。イエスは「水」において、わたしたちの生活のことを言われているのです。どんなにおいしい水、どんなにおいしい食べ物があっても、それだけで、わたしたちの生活といのちは満足しないのです。心が飢え渇くことがあるのではないでしょうか。
わたしたちの生活は「もの」だけで支えられるのではありません。わたしたちの心の奥底を本当に潤すのは、この地上の水や食物などではなく、魂をいやし、心を満たす、いのちの根源を潤すための水ではないでしょうか。それが「永遠のいのちに至る水」です。あなたは、魂を潤してくれる水があることを知っているでしょうか。主イエスは、わたしたちの生の根底を支え、魂をいやし、潤してくれるいのちの水を、「わたしが与えて上げる」とおっしゃっておられます。あなたも主イエスのところに来て、主イエスからいのちの水をいただきませんか。
すると、このイエスの言葉を聞いて、サマリアの町の女は言います。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」と。彼女はイエスの言われた言葉の意味を、どうも勘違いしていたようです。人目をはばかって、毎日毎日、暑い昼間に、この井戸ベに来て水を汲むことはたいへんな重労働です。「ここにくみに来ないでもいい」のでしたら、そんな嬉しいことはありません。そこで「その水をください」と語ったのです。
しかし、主イエスは彼女の勘違いを指摘しません。むしろ、そこからゆっくりと「永遠のいのちに至る水」について話してくださいました。「永遠のいのち」は、神のもとに在ります。神こそ、永遠のいのちの水の源なのです。新約聖書に「ヨハネの黙示録」があります。その中に、このような文章があります。ヨハネ黙示録22章1-2節です。「天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す」。
このいのちの水に至る道は、神を信じることと言っていいでしょう。信仰こそ、永遠のいのちの水を汲むことの出来る器なのです。生ける神を見出し、神を信じて生きることが、この神の水を汲んで飲むことです。あなたも永遠のいのちの水を飲むために、キリストのもとに来ませんか。
さらに、主イエスは不思議なことを言われます。「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」。わたしたちが飲んでいやされ、いのちが与えられるだけでなく、そのいのちの水がわたしたちの中から滾々と湧き出す泉となると言われたのです。わたしたちが水を産み出すのではありません。わたしたちが神を信じ、永遠のいのちの水を飲むとき、わたしたちの中からも、いのちの水が湧き出すのだと、言われているのです。神は、神を信じる者たちを通して、すべての人をいやし、永遠のいのちを与える水を、この世界の中へドッドッと溢れさせ、サラサラと流れさせておられるのです。たいへん不思議な水です。