· 

第125回 まことの指導者なき悲哀

聖書=士師記21章25節

そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。

 

 この「インターネット・オープンチャーチ牧場」のショートメッセージのページでは、あまり政治のお話などはしないようにしています。教会の礼拝説教を簡略にしたものをと心がけて、出来るだけ聖書が語る救いのメッセージを明確にお伝えしたいと願ってまいりました。これからも、この基本的姿勢は続けてまいります。

 しかし、今回は表題のように、日本の政治と行政について語らざるを得ません。この「オープンチャーチ牧場」には「折々のことばと写真」のページがあり、そこで取り上げるような主題と言えます。しかし、この「ショートメッセージ」の頁でも、今日の日本の姿について採り上げざるを得ません。聖書は決して政治的にニュートラル、中立的な書物ではありません。むしろ、旧約を含む聖書全体はこの世の権力構造に対して極めて批判的であり、彼岸的・終末的な視点からの神の国の回復を強く訴える「この世界に対する構造的な批判の書」と言えます。聖書が示す神の恵みや救い、平安も、この視点を見失うと、とんでもないことになります。

 「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。この言葉は、旧約聖書・士師記の巻末に記されています。たいへん短い言葉ですが、深い意味を持っています。紀元前12世紀頃から2百年ほどを「士師の時代」と呼びますが、イスラエルの歴史の中で最も暗い時代でした。ヨシュアに導かれて約束の地カナンに入国を果たしますが、以後、民族を統合するまことの指導者が出てきません。部族同士で争い、神の言葉から離れ、長く混乱した状態が続きました。

 「王がなく」とは、形式的に「王」という支配者がいたか、いなかったか、ではない。いつの時代でも、何らかの支配者は存在します。しかし、民のために、民の痛みを思いやる指導者はいなかった。そのため、民は支配者に信頼せず、自分勝手に生きる道を模索せざるを得なかった乱世です。人が人に「抗って生きた」時代なのです。

 最近の日本の政治状況を見て、わたしは日本という国は、まさに士師の時代になっていると感じています。国の体(てい)をなしていないのです。国の真の指導者が存在しないのです。形式的には、安倍さんも菅さんも一応「首相」でしょう。しかし、国民のため、国民の痛みを思う真の指導者ではありません。自分の利益しか見ていません。政府も政府として機能していません。これから、日本はどういう方向に歩もうとしているのかと不安になります。

 国会の中では、まともな審議はなされません。疑惑に真剣に立ち向かうことなく、文書も開示しません。都合の悪い人たちは切り捨てます。大多数で重要法案を押し通します。無責任がまかり通ります。新型コロナウィルスの感染禍に対しての責任ある対処が後手後手に回っています。オリンピック・パラリンピックを強行しても、国民の感染禍の急激な増加にも見向きもしません。

 オリンピック・パラリンピックの開催では、理念については置き去りにし、混乱が続いています。オリンピック・パラリンピックの持つ平和、自由、平等、個人の権利の擁護などは置き去りにして、経済的な視点と自己の権力構造を維持するために、すべてを危険の中に投げ込んでいるのです。太平洋戦争の開戦時の状況と極めて似ています。真実を直視せず、時の勢いにのめり込み、合理的思考を排除し、国民の命を一か八かのバクチにかけてしまう。野党が国会の開会を求めても、ほおかむりし、首相は国会にも出てこようともしません。無視してしまう。これが為政者(王)のすることでしょうか。為政者が為政者として機能していないのです。

 危機に瀕した時、大切なのは制度であるよりも、指導者の資質に決定的にかかっています。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。イスラエルを荒れ野の生活から約束の地カナンに導き入れたヨシュアの死後、指導者を失ったイスラエルの人々は、定めのない国づくりをはじめました。そして、互いに足を引っ張り合いながら、偶像礼拝にふけり、その罪のため国と人々とが腐敗し、隣りの国々から苦しめられます。

 この時代、士師という臨時の指導者が起こされ、とりあえずは場当たり的に救われますが、また罪を犯すと言うことの繰り返しです。このようなイスラエルの国の状況を「それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」と記しているのです。政治への信頼がなくなり、無政府状態となります。どこの国でも同じです。天と地を造られた生けるまことの神を、神として仰ぐのでなければ、わたしたち人間は自分勝手に、自分の正しいと思い込むことをするだけなのです。まことの生ける神を畏れる指導者が生まれることを祈らずにおれません。まもなく選挙が行われます。国の将来を託しうる人たちを選挙しようではありませんか。