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第133回 神の庭で過ごす一日

聖書=詩編84編11-13節

あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは/わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。主は太陽、盾。神は恵み、栄光。完全な道を歩く人に主は与え/良いものを拒もうとはなさいません。万軍の主よ、あなたに依り頼む人は/いかに幸いなことでしょう。

 

 今秋の9月20日(月)は、「敬老の日」でした。現役の牧師として奉仕していた時代、教会の役員会から「敬老の日」後の日曜日には、ぜひそれにふさわしい説教をしてほしいと頼まれたことがありました。「いいですよ」と気軽に応じましたが、実はなかなか難しい注文であることが分かりました。聖書には、単純な意味で「高齢者」なるが故の祝福について記す個所は案外少ないのです。

 上記の詩編84編11-13節からお話しいたします。詩篇84篇は、神殿での礼拝を渇望する巡礼の歌と言われています。たぶんユダヤの仮庵の祭りの時に歌われたものと思われます。この詩の作者は第1回バビロン捕囚(紀元前597年)によって、異邦の地に連行された捕囚の民の一員であったと思われます。エルサレムの神殿が破戒され、遠くバビロンの捕囚の地に連れ去られている。そのために、かえって切実に神殿での神礼拝が渇望されているのです。

 この詩の作者はすでに老年に達しています。異境の地で年老いていく者の切ない望みを謳っているのです。それは、もう一度、神殿での礼拝に生きたいという切望です。「神殿」という建物での出来事よりも、むしろ純粋な神礼拝の切望です。捕囚の地にいる今、自分が生きている間に、再び、現実に神殿での礼拝にあずかる望みはないでしょう。それであるだけに、かつて神殿で何げなく過ごした時間が珠玉のように思い出されるのです。

 「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは/わたしの神の家の門口に立っているのを選びます」。この詩人が、祭司であったか、レビ人として奉仕していたのかは分かりませんが、神殿での奉仕の生活を思い出しているのです。かって親しく神殿礼拝を守り、奉仕していた頃は、生き生きとしていた。神殿での1つ1つの奉仕の出来事を追想しながら、神に仕えて生きた時の間を懐かしく思い起こしているのです。

 「主に逆らう者の天幕で長らえる」とは、何か悪事を企む仲間の中にいるという意味ではありません。捕囚の地で命を長らえることを、このように言い表しているのです。捕囚の地での生活は一概に悲惨なものであったとは言えなかったようです。周囲の人々の蔑視や嘲りさえ耐えることが出来るならば、平穏な内にそれなりの生活が出来たようです。捕囚から解放された後も、エルサレムに帰還しなかった人たちが多数いたほどです。

 しかし、この詩の作者は、捕囚の地での平穏で満たされた生活を良しとしなかったのです。どんなに苦労が多くても、エルサレムの神殿で主に仕えて生きたときの方が,はるか千倍の幸せであったと告白しているのです。「わたしの神の家の門口に立っているのを選びます」。捕囚の地で平穏に生活をするよりも、エルサレム神殿の門番のような貧しく低い務めであっても、そちらの方がはるかに幸いで、自分はそちらを選ぶと語っているのです。

 ここには、人間の根源的な幸いがどこにあるかを、雄弁に物語っているのです。高齢になり、死期を覚えるようになっている。この詩人は、神に仕える幸いを物語るのです。神に仕えて生きる者に対して、神がどれほど恵み深くあるか、という詩人の信仰を熱く物語るのです。「主は太陽、盾。神は恵み、栄光。完全な道を歩く人に主は与え/良いものを拒もうとはなさいません」。神殿に住む者だけの幸いではなく、その「心」が生ける神に向けられ、神を求める心が「幸」なのです。その幸いの内容が語られているのです。

 「主は太陽、盾」と語ります。主なる神は、信じる者に太陽のように暖かさを与えてくれます。神は「盾」として信じる者を堅く守ってくださいます。「神は恵み、栄光」は重ねて語る詩編特有の平行法の表現ですが、神は慈愛と慈悲の神であり、神に生きる者に「栄光」を授けてくださると語っているのです。礼拝者の幸いが物語られているのです。幸いは、神を礼拝し、神と共に生きるところにあるのだと語り歌うのです。これが詩人の信仰告白です。

 詩人は、今、バビロンの捕囚の地で生きています。その生活は、ある程度の平穏さと豊かさが与えられています。しかし、どんな生き方をするよりも、神の家である神殿にいます「生ける神」と共にある生活を望み、これこそが本当に幸いな生き方であると語るのです。最後に、神に信頼する者に対して、神は決して良いものを拒まれないと確信を謳っています。新共同訳「完全な道を歩く人」は、あまりいい訳し方ではありません。「新改訳2017」の「誠実に歩む者に良いものを拒まれません」が良いでしょう。この詩は、神への信頼を謳う詩なのです。