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第143回 異邦人に及ぶ神の救い

聖書=マタイ福音書2章1-3節

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。

 

 まもなく、今年2021年のクリスマスを迎えます。上記の聖書個所は、しばしばクリスマスの出来事として取り扱われます。イエスの誕生に際して、東方から「占星術の学者たち」が幼子イエスを訪ねてきたことがあったという記述です。ここには見逃してはならない大切なこと、キリストの救いはいったい誰のためのものなのか、ということが記されているのです。

 今日、日本では外国人への排斥、嫌がらせが、あちこちで見られます。人手不足ということから外国からの働き手を求めながらも、その労働条件は劣悪なままです。入管の業務は、人を人として取り扱うことも出来ないようです。世界には多くの難民がいるにもかかわらず、日本では門戸を閉ざして迎え入れようとはしません。排外的なヘイトスピーチが横行しています。そのような時代の流れの中で、わたしたちは、このような日本社会に抗して、福音書が示している恵みの出来事を読み取っていくのです。

 ここに記されていることは、主イエスの誕生に際して、最初に幼子のイエスを訪ねてきて、幼子イエスに捧げ物を捧げて、イエスを最初に礼拝したのは、明らかに異邦人であったということです。ここに記されている「東の方から」というのは、単にエルサレムからの東方というだけのことではありません。東の国、今日、イラク、あるいはイランと呼ばれている地方を指している言葉なのです。ティグリス川、ユーフラテス川などの流域にある地域を指しています。

 「占星術の学者」(口語訳、新改訳では「博士」)とは、今日の天文学者ではなく、「マギー」と呼ばれていた魔術師に近い人たちです。旧約聖書では「魔術」や「占い」みたいなものに対しては厳しい理解があります。「あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない」(申命記18:10-11)。イスラエルでは忌避される人たちです。

 この人たちを導いたのは、不思議な星の導きでした。旧約・民数記24章17節に「ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり」と記されています。当時、東方の国々にも旧約聖書は知られていました。バビロン捕囚をはじめ、離散したユダヤ人の集落があちこちにありました。マギーたちを導いたのは、この御言葉の光でした。この御言葉と不思議な星に導かれて、メシアを求めて遠い道を苦労を重ねてエルサレムにやってきたのです。

 マタイ福音書の著者は、イエス誕生の出来事を旧約の歴史との関わりで記していきます。その顕著な例が冒頭に記されている「イエスの系図」です。そして、イエス誕生の物語を記す中で、キリストと言われるイエスの救いの恵みに招かれているのは誰か、ということを冒頭から明らかに語り出しているのです。東の国から千里の道をも遠しとせず、異邦人である「マギーたち(占星術師)」がやってきた。彼らが、旧約の神の民であるイスラエルの人たちに先立って、キリストの救いの光を仰ぐことになったのだ、と言いたいのです。

 旧約時代、イスラエルの人たちからは、「異邦人」、「無割礼の者」と言われて差別されてきた人たちでした。とりわけ、「マギー」と言われていた人たちは魔術師としてユダヤでは軽蔑され、忌避されていた人たちでした。このような人たちが、イエスのもとに駆けつけ、イエスの誕生を祝福し、捧げ物をし、それによってイエスの生涯が始まっていくのです。

 マタイ福音書は不思議な福音書です。旧約聖書からの引用が最も多いのはマタイ福音書です。マタイ福音書は、しばしばユダヤ人のために記された福音書とも言われ、旧約的な思考が濃厚です。しかし、このマタイ福音書が明確にしているのは異邦人への視座なのです。キリスト誕生の知らせを聞いて、支配者であるヘロデ王から始まってエルサレム中の人々まで「不安を抱いた」と記し、ヘロデ王による嬰児の大虐殺という出来事を記しています。

 それに対して、千里の道を遠しとせずに、メシアを訪ね求めて、幼子イエスの元に来て、幼子イエスを礼拝し、多くの捧げ物をしたのは異邦人のマギーであったと記すのです。このような異邦人への救いこそ、キリスト到来の真の目的であると語りたいのです。全世界の救い主イエス・キリストの誕生が物語られているのです。そして、このマタイ福音書が最後に記すのは「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ福音書28:19)と言う世界宣教への命令です。

 神は人を偏り見るお方ではありません。イエス・キリストによる神の救いは、決して一部の特殊な人たちだけの独占物ではありません。マタイ福音書には、イエスの誕生によって異邦人、民族、国籍、性別、職業、階層、貧富を超えて、すべての人々に対する神の救いへの招きが始まったと物語られているのです。