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第161回 あの方はここにはおられない

聖書=マタイ福音書28章1-6節(10節)

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。

 

 今年、2022年は、4月17日(日)が、イエス・キリストの復活を記念する「イースター」(復活節)です。そのため、今回はマタイ福音書28章1-6節からお話しします。聖書をお持ちの方は10節まで読んでください。この箇所には、イエスの墓からの復活の出来事が記されています。普通、わたしたちの場合、墓に葬られたら、そこで生涯が終わります。しかし、イエスの場合には死んで墓に葬られて終わりません。復活があるのです。

 イエス復活の出来事は、数人の婦人たちの墓地への訪問から始まります。十字架にかけられて死んだイエスの遺体は、金曜日の内に、アリマタヤのヨセフたちによって慌ただしく墓に葬られました。土曜の安息日が始まりかけていたからです。十分な死者儀礼も出来ませんでした。イエスの葬りに立ち会った婦人たちは安息日をどのような思いで過ごしたでしょう。やるせない思いの一日であったと思います。

 「さて、安息日が終わって」という言葉には、彼女たちに長く感じられた安息日がようやく終わった、という気持ちがよく表現されています。「マグダラのマリヤともう一人のマリヤが」とあります。他の福音書を読むと「もう一人のマリヤ」とはヤコブの母のマリヤで、その他にサロメという婦人も一緒に行ったことが分かります。安息日が終わり、週の初めの日、日曜日の朝早く、暗いうちに墓に駆けつけました。彼女たちの心は明るいものではありません。暗く沈んだ悲痛な思いでした。愛するイエスを失ってしまった。彼女たちは慌ただしく葬ったために出来なかった死者儀礼を行い、イエスに最後の別れをするため香料や香油を携えていました。

 彼女たちが墓に到着する時間を見計らったように「大きな地震が起こった」と記されています。道々心配してきた墓穴を塞いでいた大きな墓石も倒れていました。堅く封印して、墓を見張っていた番兵たちも「恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになって」いました。

 婦人たちも、この異常な出来事に驚き、恐れ、震えあがった。転がされた石の上に、天使が現れて、「恐れることはない」と語りかけたのです。「恐れることはない」という言葉は、聖書の中で驚くべき出来事が語られる度に繰り返されました。イエスの誕生が告げられた時、天使がヨセフに「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」(マタイ福音書1:20)と呼びかけ、マリアにも「マリア、恐れることはない」(ルカ福音書1:30)語りかけます。神の大きな出来事がなされる時、そこに立ち会う人に語りかけられる特徴ある言葉です。

 ここで語られている天使のメッセージは2つあります。1つは、十字架で死んだイエスは、「ここにはいない」ということです。天使は「十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、……」と言います。彼女たちがここに来たのは、死者となり墓に納められたイエスに別れをするためでした。けれど、死んだイエスは「もうここにはおられない」と言われたのです。死人を葬る墓には、もうイエスはいないのです。

 天使は、「空になった墓」を指し示して「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」と言います。死者となったイエスを閉じ込めていた墓は「空・から」でした。何もありません。イエスの復活は、あやふやなものではなく、文字通り「身体の復活」です。わたしたちは、もうイエスを訪ねて墓に行く必要はありません。イエスは墓にはいないからです。

 では、イエスは、どうなったのでしょう。天使は婦人たちに「かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」と告げます。これが天使の第2のメッセージです。ごく簡単に語られていますが、これこそ死に対する決定的な勝利の宣言です。「復活した」とは「今、生きている」ということです。人間は、どんな人も死ねば墓に葬られて終了となります。ところが、イエスは死んで葬られても、そこで終わりにならなかった。確かに死んで墓に葬られました。けれども、イエスは人類の最後の敵である死に勝利し、死を打ち破られたのです。

 天使のイエス復活のメッセージは現実となりました。この後、天使は婦人たちに命じます。「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は、死者の中から復活された』」、と。婦人たちが走り出しました。すると道の途中で、復活したイエスご自身が彼女たちに現れ、出会ってくださったのです。婦人たちが見たのは、夢でも幻でもなく、生けるイエス・キリストです。「主は生きておられる」。現実に婦人たちは、イエスの足を抱き、その前にひれ伏して拝したのです。見て、触って、声を聞いたのです。イエスは、復活して、今も生きておられます。これが、イエス復活の出来事です。