聖書=マタイ福音書24章1-2節
イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。そこで、イエスは言われた。「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
わたしたち人間には、巨大で立派な建造物に対する憧れみたいなものが潜在的にあるのではないでしょうか。天にも届くようなタワービルを見ると、思わず「ワァーすごい」と叫びます。バベルの塔以来の人間の罪深さでしょうか。キリスト教信徒でも、大きな教会堂の建造物を見て、外見の大きさや立派さを誇る場合があります。
イエス時代のエルサレム神殿は、ソロモン時代とは異なる第二神殿と言われていますが、壮大な建造物だったようです。元はバビロン帰還後の人たちの手による貧弱なものでしたが、ヘロデ大王がユダヤ人の人気を得るために、ユダヤ教指導者たちの意見を取り入れて大きく建て替えたのです。イエスが、この神殿を訪れた時、建造物は30年余の歳月を費やしてほぼ完成していました。ユダヤ人たちは、この壮大な神殿の建造物に満足し自慢していました。イエスの弟子たちも同じ感情を持っていたと思われます。
ですから、イエスが神殿を訪れても、そのような壮大な建造物に関心を示さないで、スタスタと神殿の境内から出て行くのを見て、弟子たちはもう少し神殿への関心を示してもいいだろうと思ったのでしょう、「神殿の建物を指さして」イエスの注意と関心をうながしたのです。
ところが、イエスは壮大な建造物には目もくれずに、弟子たちに「これらすべての物を見ないか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」と言いました。「これらすべての物」とは、神殿の建造物を指しています。乳白色のエルサレムストーンと呼ばれる大理石で組み建てられた巨大な建造物です。それらの巨石を積み上げて建てられた神殿は確かに誇るに足る立派なものだったでしょう。
けれども、そこには精算されなければならない人間的なものがありました。今日のわたしたちも、イエス時代のユダヤ人を笑うことは出来ません。同じです。自分たちの努力や技術を偶像にしてしまうことがあります。多くの捧げ物と高い技術をもって建てた教会堂だから、そこで捧げられる礼拝は最高だと思い込みます。わたしたちも、イエスの弟子たちと同じように「何と立派な教会堂ではありませんか」と、自慢したりしないでしょうか。こんなに立派な会堂で捧げる礼拝はすばらしい、と思い込むようなことがないでしょうか。人間の業としての建造物を誇る傲慢の罪を犯す危険がいつもあります。
「はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」というイエスの言葉を、目に見えるものに信頼するなということだと教える人がいます。けれども、イエスは、ここでは、目に見えるものと見えないものという対比で、神殿について語っているのではありません。イエスがこの壮大な神殿を無視するのは、イエスの到来によって、この神殿は最早不要のものになっているからです。出来あがったばかりの壮大な神殿を見ながらも、それにほとんど関心を示さないのは、この神殿が不要のものになっていたからです。
イエスは、かなり早い時期にサマリアの女に「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山(ゲリジム山)でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(ヨハネ福音書4:21)と語っています。弟子たちにはこの言葉の意味がまだ分かっていません。イエスの昇天後も、しばらくユダヤ人と一緒に神殿に集まっていました。しかし、弟子たちは神殿がなくても本当の礼拝ができる。いや、どこででも、いつでも礼拝ができる、ことに気付いていきました。キリスト教の礼拝は礼拝堂とか場所に拘束されないことを知ったのです。キリストがいるならば、そこが礼拝の場であることです。イエスは、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ福音書18:20)と語ります。
それだけでなく、「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」と語ったイエスは、神殿の破壊と崩壊の日が遠くないことを見抜いていました。イエスの予告通りになりました。イエスの十字架処刑の40年後、紀元70年にローマ軍のティトス将軍によって栄華を誇った神殿は徹底的に破壊されました。建造物が破壊されただけでなく、エルサレムからユダヤ人が全面的に追放されてしまったのです。
エルサレム神殿の崩壊によって、強制的にと言っていいでしょう、イエスをキリストと信じる信徒の群れは、ユダヤ教から自立し、キリスト教として成立したのです。神殿の崩壊は神殿礼拝を支えるシステムの崩壊です。動物犠牲を捧げることが出来なくなり祭司制が失われました。キリスト者たちは、キリストの大祭司職を受け止めて、キリストに結ばれて、新しい礼拝の民として世界に散らされました。礼拝の場は、会堂を借りることもありました。川の畔、川辺で集会を持ちました。個人の家を礼拝の場として用いました。洞窟や地下洞を礼拝場所としました。キリスト者は、この歴史の事実を決して忘れてはならないのです。