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第177回 苦難を乗り越えての希望

聖書=マタイ福音書24章7-14節

「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」

 

 この個所は、イエスが弟子たちに語ったまもなく起こるエルサレム神殿崩壊とそれに伴って起こる事柄についての告知の言葉です。いわゆる世の「終末」についてではありません。

 「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり」とは、やがて起こるユダヤとローマの戦争を指しています。今は戦いのうわさに過ぎませんが、密かに軍事力を蓄えたユダヤはローマ帝国の桎梏から逃れるために暴発します。軍備増強は必ず戦争になります。「ユダヤ戦役」と呼ばれる戦争が起こりました。勝てる見込みの全くない小国でも超大国ローマに対抗して戦い、結果として国家の崩壊、民族離散となりました。

 「そのとき」と訳されている言葉は、ある一定の時ではなく、「そして、それから」と訳すべき言葉です。エルサレム神殿が破壊されるような戦争の惨禍の時が、「産みの苦しみ」のように順次拡大していくのです。

 「そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される」と言われます。「あなたがた」とは、イエスの弟子たちのことです。教会に対する迫害と教会の内部で起こる事柄が予告されているのです。紀元70年に起きたユダヤ戦役の中で、キリスト者たちは困難を極めました。民族的には同じユダヤ人ですが、ユダヤ教徒ではありません。イエスの平和の教えを信じて、ユダヤ教徒とは一線を引いています。戦いに加わりません。ユダヤ人から見たら、同胞でありながら裏切り者と見えます。そのため、「わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれ」「殺される」ことも起こります。

 「そのとき」、イエスの弟子たちは右往左往します。教会はいつでも一致しているわけではありません。いろいろな考え方が出てきます。「多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる」。これは教会外のことではありません。キリスト者の群れの中で、つまずきが起こり、裏切りが起こり、互いに憎み合う事態になるのです。群れの中に「偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす」ことが起こります。群れの指導者、教師と呼ばれる人の中にも偽者が出てきます。わたしたちは、説教者が本当に神の言葉を語っているかどうか、注意しなければなりません。律法主義に戻ったり、神の愛と恵みから迷い出させてしまう場合もあります。

 群れの中に不法がはびこります。「不法」とは規則上の問題と言うよりも、信頼とか自制、品格のような教会を支えている信仰の筋道が破られることです。キリストを信じる信徒の群れとしての品格が失われてしまいます。イエスは、「多くの人の愛が冷える」と言います。これこそ、教会にとって最も大きな痛手です。どのような時にも、教会を力強く支えるのは、キリストの贖罪愛に支えられ、これに応えての、神を愛することと隣人を愛することです。教会は愛の共同体です。愛が冷え込んでくると、教会としての在り方が変質していくのです。

 そのような危機の中で、イエスは約束と希望を与えています。約束は「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」です。この言葉は誤解されやすい。困難の中で歯をくいしばって忍耐し続けること、と理解して、わたしは失格だと考える人がいます。そうではありません。「耐え忍ぶ」と訳された言葉は「重荷のもとにとどまり続ける」という意味の言葉です。外から迫害、教会内には偽教師が起こり、不法がはびこり、愛が冷えていきます。信仰を育て養うには困難な状況です。その中で、最初の信仰、純朴なキリストの福音にとどまり続けることです。信仰抜きの忍耐・我慢ではなく、どんな状況の中でも信仰にとどまり続けている者が確実に救われるのです。

 その中で、希望としての世界宣教が語られます。これこそ、目の前の悲惨を乗り越える新しい世界の現出です。エルサレム神殿の崩壊とユダヤ人のエルサレムからの離散とは、キリスト者にとって新しい時代の到来なのです。キリストを信じる群れは、しばらくは苦難を覚悟しなければなりません。しかし、それは産みの苦しみなのです。イエスは、産みの苦しみを通して、世界に広がる新しいキリスト教会の拡大と世界宣教を語っているのです。

 万民の救いの福音、喜びの福音が世界中に証しされるのです。イエスの弟子たちの前途には多くの困難、患難があります。しかし、その中で、イエスの弟子たちを立たしめたものは何かという秘密が語られているのです。喜びの福音が世界中に証しされ、聞いて信じる者は救われるという希望です。その世界宣教の希望の中で、イエスの再臨を待ち望んだのです。今日のわたしたちを生かしていく力でもあります。