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第178回 あなたは、殺してはならない

聖書=出エジプト記20章13節

「殺してはならない」。

 

 今年も、まもなく8月15日の「敗戦記念日」が巡ってきます。平和を覚える時ですが、再び戦争の騒ぎが湧き起こっています。この機会に、聖書からの平和のメッセージを聞いてまいりましょう。上記の短い言葉は、モーセの「十戒」の第六戒です。十戒は、神に贖われた神の民の生活の指針であり、旧約律法の根幹をなす掟です。十戒は、個人倫理であるだけではなく、この律法に表明された神の意志に従ってイスラエルを形成するという群れの形成原理でもあります。

 ところが、この第六戒は軽視され無視されてきました。出エジプトしたイスラエルは、カナンの地に入るに際して、ヨシュアによって、カナンの「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」と命じられます。それに応えて、「彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした」(ヨシュア記6:17-21)のです。これが「聖戦」とされました。

 このような戦闘・殺戮は、カナン入国時だけでなく、士師の時代も、ダビデ・ソロモンの統一王国時代も、南北分裂王国時代も、数限りなく行われました。群れの形成の原理である第六戒についての記憶は全く失われていたとしか言いようがありません。

  イスラエルにおいてだけ、第六戒「殺してはならない」の掟が無視されただけではありません。今日のいずこの世界でも第六戒は無視され続けています。国家為政者と言われる政治家において、経済界において、学会において、教育界において、さらには宗教界においても、無視されています。人の行為と決断を導くのは利益の獲得であり、メンツであり、資本の論理です。キリスト者と言われる人たちでも、この第六戒は意識の外です。

 しかし、どれほど無視され軽視されても、これが神の意思の表明であることは変わりません。「殺すな」は、故意の殺人を禁じたものです。聖書では、人間社会の誤りあることを認めています。偶発的な殺害に対しては「逃れの町」のシステムをもって救済処置を講じています。戦争は、いかなる形であっても、故意の殺人、謀殺です。神の法では明らかな罪、犯罪です。現実に妥協したり忖度することなく、罪を罪として宣言することが大切なのです。「駄目なものは駄目だ」という基本の根拠です。

 なぜ、神は「殺すな」と命じているのでしょう。今日、人命が極めて軽視されています。人命が計量化されています。さらに、優生思想によって効率化され差別化されています。人が人として持つ根本的な尊厳性は、どこにあるのでしょう。聖書によれば、人が「神に似せて」、神の形を担う者として造られたからです。「人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ」(創世記9:6)。一人の命に絶大な価値があり、一人の命が大切なのです。

 第六戒「殺してはならない」は、単なる殺人禁止の規定だけでなく、また近代的な人間観に基づく人命尊重、人権擁護という視点からだけではなく、人は神の形を担う神の被造者であり、神が人の命に特別な関心を持っているからです。この戒めは、殺さなければいいという消極的なものではなく、「命を生かしていく努力」が求められているのです。「人の命を生かしていく努力」の延長線上にイエス・キリストの十字架の贖いがあるのです。神の前に罪を犯し滅びる者となった人を永遠のいのちに生きる者へと回復するために、イエスはわたしたち罪人の罪を担い、贖いを成就して、神の御前に生きる者としてくださったのです。

 故意の殺人、謀殺、戦争は、神の創造の恩寵を打ち砕く業であると共に、キリストの救済の恩寵をも打ち砕く破壊の業、悪魔の業です。人の命を生かす平和の働きは、イエスの働きを継承する「神の子らの働き」と言えるでしょう。イエス自身が「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ福音書5:9)と語るとおりです。

 新約では、すべての律法が、イエスの十字架の贖罪の視点から捉え直されます。第六戒「殺してはならない」も含めて十戒の一つ一つ、さらに律法全体が新しく理解され直します。「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」(マタイ福音書5:38-40)。「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ福音書5:43-44)。

 イエスは十戒を含めた律法全体を「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(マタイ福音書22:37-40)とまとめました。第六戒「殺してはならない」は、一切の剣を取ることの禁止であり、敵を愛し敵のために祈ることの勧めなのです。