聖書=マタイ福音書28章18ー20節
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
この個所は、ガリラヤの山で、復活のイエスが弟子たちに語った「宣教命令」です。この「宣教命令」について1つ1つ細かく解説してきました。それは「宣教命令」が、キリストの福音を宣べ伝えて、キリストの教会を形成するための基本的見取り図を伴った極めて長期的、包括的、総合的な命令だからです。今回は最後に、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という言葉を取扱います。
「教会とは何か」を考える時、最も基本的な聖書の言葉は、マタイ福音書18章20節に記されているイエスの言葉です。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」。イエスが祈りについて教えた中で語られた言葉です。教会は人数では計れません。二人、三人でいい。複数の人たちが集まって、キリストの名によって祈りを捧げるところに、キリストも共にいてくださると語られたのです。これがキリストの教会についての最も基本的な定義と言っていいでしょう。「キリストが共にいること」、これは単なる神の遍在ではありません。信ずる者たち…教会…エクレシアの中に臨在されるキリストなのです。
「教会」と言うと、十字架の付いた尖塔のある建物を考えるかもしれません。それは「教会堂」という容れ物に過ぎません。初代教会は占有の教会堂を持ちませんでした。川辺で、洞窟で、個人の家で集会が持たれていました。何百人、何千人の会衆が必要でもありません。組織を整える必要はありますが、組織があるから教会でもありません。ごく僅かな人たちでも、神とキリストの恵みを感謝して祈りを捧げる、神礼拝を捧げる信徒の群れが「教会」(エクレシア)で、そこに復活のイエスが「いつもあなたがたと共にいる」と言われます。この言葉は復活のイエスの臨在の保証、確証なのです。
「礼拝を捧げる信徒と共にいるキリスト」。この臨在するキリストの姿が肉眼に見えないところから、いろいろな問題が出てきます。信徒と言われる人でも、礼拝の中に臨在するキリストが分からない場合が多いのではないでしょうか。牧師や神父、役員たちの姿だけがクローズアップされてしまいます。華やかな集会風景、オルガンの荘厳な響きなどの目に見える部分によって「教会」が判断されます。礼拝の中に臨在するキリストにまで想いが至りません。
礼拝において大切な要素は、朗読される聖書の言葉と、その聖書の言葉の解き明かしとしての説教です。この聖書の言葉と説教を通して、その言葉を用いて、生ける主イエスが霊的に臨在されるのです。礼拝において「生ける主が語られる」。これが礼拝の真実です。牧師など奉仕者の拙い人間の言葉が用いられて、生ける神の言葉「あなたがたに命じておいたことのすべて」が語られていくのです。説教は今、語られる神の言葉です。この語られる神の言葉において、キリストご自身が霊的に臨在しておられるのです。
礼拝において、もう一つ大切な要素は「聖餐」です。イエスは、最後の晩餐において「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われ、「杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました」。そして、「あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」と命じられました。(Ⅰコリント11:24-26)。
聖餐は、「主の死を告げ知らせる」と言われるように、主イエスの死を記念して覚え、主の死を告げ知らせて十字架と復活の恵みを受け取る時なのです。しかし実は、復活のイエスは、この聖餐設定の言葉と共に霊的に臨在しておられるのです。これが聖餐の神秘です。キリスト教会では、聖餐におけるキリストの臨在を巡って歴史的な論争がありましたが、改革派教会では御言葉と共に働く霊的なキリストの臨在を主張します。
キリスト教会では、聖餐において、キリストの臨在、共在を確信するのです。生けるキリストが「取って食べなさい。これはわたしの体である」「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マタイ福音書26:26-28)と語られます。信徒は、聖餐において霊的にキリスト体を食し血を飲むのです。それによってキリストと結ばれる恵みの神秘にあずかるのです。このキリストとの結合によって、罪の贖いの恵み、神の子とされる祝福、永遠の命に生きる者とされるのです。