聖書=詩編19編1-5節
【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。
今回は旧約聖書詩編19編の前半、1-5節を取り上げます。詩編の中では有名な個所です。キリスト教会では、日曜学校の子どもたちを連れてキャンプに行き、野外でテントを張って数日泊まり、野外活動をします。夜はキャンプファイアーを囲んで賛美の集会などを持ちます。そのような時、わたしはこの詩編を朗読します。
信仰者であっても「わたしは、あまり神を身近かに感じない」と言う人もいます。もちろん、神を信じない人が神を感じることはないでしょう。けれどキャンプなどの時、虚心になって周囲の自然を眺めて見ませんか。雄大な山々の景色、真っ赤に染まった夕映えの空、キャンプ場のあちこちに咲く野の草花。それらのどれにも造り主の愛情の刻印が押されていることを発見するのではないでしょうか。
わたしの郷里は山梨県の山奥で、時折帰郷します。周囲は緑の色濃い山ばかりです。自然の中で月や星を眺めることもできます。自然の姿を見る度に、大自然を造られた神のいますことが鮮やかに刻印が押されている、とわたしは実感しています。
この詩編19編は、理屈で神の存在を証拠立てるような意図を持っていません。素朴に生ける神の存在を「感じさせる」詩なのです。詩人は、わたしたちに大地に横になって寝転んで「目を開けてごらん」と言っているのです。おそらく時は夜でしょう。大空には満天の星が無数に輝いていたでしょう。
詩人は「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す」と歌い出します。満天の星は、神の御手の創造を人に感じさせるのです。絶妙な神の御手の細工、不可思議な星の軌道、人の生活と星との神秘的な関わり。太陽の慈愛と月星の満ち欠けによるわたしたちの営み、動物や植物の営み。大地に寝転んで、わたしたちは神の力と不思議を感じ取るのではないでしょうか。
詩人は「昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る」と歌い継ぎます。この言葉をどのように理解するかは受け取る各自です。わたしは、ここに自然の世界が奏でる「合唱の響き」を受け止めます。自然の世界は「神います」というメッセージを、昼と言わず、夜といわず、絶えず大きな合唱のようにして伝達しているのです。大きな雲の動き、爽やかな風の動きや気流の動き、台風や竜巻の中にも、自然界の合唱の声として神の知識、神の言葉が送られているのです。この合唱の声を聴き取っているでしょうか。
詩人は、この自然界の声について「話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう」と語ります。自然世界の声は、わたしたち人間の「ことば」のように話されることも、語られることもありません。しかし、自然の世界は声を発していないのではありません。聞く耳を持たない人には「聞こえない」だけです。
自然の世界は「響き」と言われるような大きな声を発しています。感じ取ることの出来る人には、「神います」というメッセージが鳴り渡っているのです。このような自然界における神の言葉を「一般啓示」とか「自然啓示」と言います。神は、ご自身の造られた世界の中にご自身の刻印を押し、「神います」と大きな声を響かせているのです。
今日、「SDGS」(持続可能な開発)ということが言われています。今まで人間は自己の欲望に従って勝手な開発をし、神の創造になる自然世界を汚染し破壊してきました。自然が発する悲痛な声を聴いてこなかった。自然の世界が発している痛みの声、呻き声、悲痛な叫びを無視してきました。しかし、自然の世界は大きな響き、合唱の声を挙げていたのです。自然の発する切ない声を聴き取ることの出来る感性を持ちたいものです。大地に伏して耳を澄ませましょう。