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第225回 世界は主のもの

聖書=詩編24編1-2節

【ダビデの詩。賛歌。】地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの。主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた。

 

 今回は詩編24編1-2節からお話しします。この詩は「ダビデの詩」となっています。この時代、神の臨在のしるしと言われていた主の箱「契約の箱」が、長い間彷徨っていた状態でした。しかし、ダビデによってエルサレムが平定され、オベド・エドムの家からダビデの張った天幕の中に「主の箱」が担ぎ入れられ安置されました。この詩は、その時に歌われたと言われています。

 詩の冒頭に、主なる神の賛美(1-2節)が置かれているのです。たいへん短いですが、主なる神が自然世界の造り主であり、保持しておられるお方であることが告白され、神がたたえられているのです。旧約詩編の中には、自然世界における神のみ業をたたえ、賛美した詩が幾つかあります。詩編19編、詩編29編、詩編65編などは、自然世界を造った創造の神を力強く歌い上げていると言ってもよいでしょう。

 この自然の世界は、神が、わたしたちに、そこで生活し、神の恵みを覚えて感謝をもって神と共に生きるべきものとして造られたのです。この背後にあるのは、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)という神の創造の「良し」への信頼です。「契約の箱」に象徴される神の救済の恵みに感謝を捧げる前に、わたしたち人間の生きる場を造られた天地創造の神をたたえ、賛美しているのです。

 ところが今日、わたしたち人間を取り巻く世界は、神が造られたままの世界ではありません。わたしたちが感謝をもって生きる場とはなっていません。自然の世界が、わたしたち人間に対して牙をむいて攻撃していると言っていいでしょう。

 世界各地で大きな地震が頻発しています。日本だけでなく、最近ではトルコなどでも大都市を飲み込み、何十万人の規模で死傷者が出ています。地球のプレートが動き出しているのです。年々大きな被害を出す台風が大きな力を振るって襲いかかってきます。豪雨や線状降水帯による被害が繰り返し起こっています。大きな被害は決して日本だけでなく、世界各地で降雨や増水によって河川の氾濫で町や都市が壊滅的な被害を受けています。

 北極や南極の氷河が恐るべき勢いで溶け出し、海水温の上昇で海面が上昇し、水没する島嶼国家も出てくるでしょう。温暖化が超スピードで進行し、気候変動により豪雨地帯や乾燥地帯が生まれています。乾燥による大きな火事も起こっています。大地は破滅への道を歩み始めたのでしょうか。

 この自然世界の壊滅への道を押しとどめようとしてSDGS(持続可能な開発目標)を掲げて、開発の減速をしようとしている人たちもいます。しかし、ロシア・ウクライナ戦争が始まったように自然世界の壊滅を進めてしまう人たちの方がはるかに多いのです。大地を焦土とし食物を奪い、人のいのちと暮らしの平安を奪っています。砲弾や爆撃、核兵器で貴重な大地を汚染し、人の住めない世界を現出しようとしているのです。

 この詩編24編1-2節は、今やわたしたち人間の根源的な罪と巨悪とを指し示す言葉になっているのです。大地は自分たちだけのものと考え、大地を汚染し簒奪する人間中心の考え方を、大きく方向転換しなければならないのです。

 「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの」という神の主権を認めることです。わたしたち人間も神の被造物ですし、この世界に生きるすべての動植物も同じく神の被造物です。わたしたち人間が自由に勝手気ままに収奪できるものではありません。主なる神のものなのです。

 「主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた」。非常に簡単な表現ですが、この言葉は神の世界の秩序を物語っているのです。この神の秩序を受け入れることです。わたしたち人間は、世界を破壊し続けてきました。今日も加速度的に破壊しています。神の主権を認めて、この世界を神の祝福の御手の元に置く。これが、真のSDGS(持続可能な開発目標)なのではないでしょうか。神へと大きく方向転換しようではありませんか。