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第231回 盾と剣と戦いを砕く神

聖書=詩編76編1-11節

【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。アサフの詩。歌。】

神はユダに御自らを示され、イスラエルに御名の大いなることを示される。神の幕屋はサレムにあり、神の宮はシオンにある。そこにおいて、神は弓と火の矢を砕き、盾と剣を、そして戦いを砕かれる。あなたが、餌食の山々から、光を放って力強く立たれるとき、勇敢な者も狂気のうちに眠り、戦士も手の力を振るいえなくなる。ヤコブの神よ、あなたが叱咤されると、戦車も馬も深い眠りに陥る。あなたこそ、あなたこそ恐るべき方。怒りを発せられるとき、誰が御前に立ちえよう。あなたは天から裁きを告知し、地は畏れて鎮まる。神は裁きを行うために立ち上がり、地の貧しい人をすべて救われる。怒り猛る者もあなたを認める。あなたが激しい怒りの名残を帯とされるとき。

 

 今回は詩編76篇からお話しします。今、世界は危機の中にあります。ロシア・ウクライナ戦争が始まり、もう2年半になります。ロシアのプーチン大統領は核兵器使用の恫喝をもって世界を敵に回しています。日本も右往左往し軍備増強に走っています。国民もこの事態に冷静さを失っています。この時、この詩編を学び直したい理由です。

 この詩は、旧約の神の民、紀元前701年南王国ユダの民がアッシリアの大軍から救い出された時のことを歌った叙事詩です。「サレム」はエルサレムの古い地名で意味は「平和」です。「シャローム」(平和、平安)と同じ語源です。「シオン」とはエルサレムの雅語です。神殿の町で、神いますところと言われていましたが、アッシリアの大軍に包囲されていました。この時、サレムにいます神は自らを「平和の神」として示されたのです。

 この平和の神がなさったことが「弓と火の矢を砕き」、「盾と剣を、そして戦いを砕かれる」と語られています。神は戦いのための武器をむなしくされました。このことが、紀元前701年のアッシリア来襲において実際に示されたのです。

 昔からイスラエルとユダは弱小国家としての悲哀を繰り返し味わってきました。北にアッシリア帝国、バビロニア帝国、南にエジプトの巨大帝国があり、北と南の強国の間に挟まれていました。しかし、神は剣や槍、馬や戦車によって救うのではありません。平和の神は、弓と矢、盾と剣という武器を砕くことによって、エルサレムの町を救われたのです。詩人は、神を親しく「あなた」と呼びかけ、神は神らしい方法によって敵を打ち破られたと歌います。神は「光を放って力強く立たれる」神です。

 神の戦いは、決して武器をもっての戦いではありません。「勇敢な者も狂気のうちに眠り、戦士も手の力を振るいえなくなる。ヤコブの神よ、あなたが叱咤されると、戦車も馬も深い眠りに陥る」と歌います。軍馬や戦車によらない、つまり軍事力によらない不思議な方法で相手を退け、アッシリアの軍勢を一夜のうちに去らせたのです。その理由は分かっていません。わたしたちは、神のなさる御業をしっかり記憶しなければなりません。剣に対する剣ではない。神は決して無力ではなく、神の民のために、立ち上がり、神に相応しい方法で戦ってくださるお方です。

 神のなさり方は人に分かりません。神らしい方法を採られたのです。詩人は、神を「恐るべき方」と言います。「あなたこそ恐るべき方。怒りを発せられるとき、誰が御前に立ちえよう。あなたは天から裁きを告知し、地は畏れて鎮まる」。人は、神を無力だと思い込みますが、神は天地を造られたお方です。大きな力を持ち、「神は裁きを行うために立ち上がり、地の貧しい人をすべて救われる」のです。

 神の裁きは人の報復とは異なります。シオンにいます神は平和の神です。このお方は、戦う双方のすべての武器(弓と火の矢、盾と剣)を砕き、戦いそのものを砕いて、貧しく弱い者たちを救うために、その力を振るってくださる神です。この平和の神が、人となられて、わたしたちの「主イエス」となってくださいました。主イエスは十字架によって真の平和をこの地にもたらしてくださいました。この主なる神に信頼して、軍備を捨てて、すべての隣人と共に住む平和の世界を祈り求めてまいりたいものです。