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第236回 自然界への神の祝福

聖書=詩編65編10-14節

あなたは地に臨んで水を与え、豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え、畝を潤し、土をならし、豊かな雨を注いで柔らかにし、芽生えたものを祝福してくださるからです。あなたは豊作の年を冠として地に授けられます。あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。荒れ野の原にも滴り、どの丘も喜びを帯とし、牧場は羊の群れに装われ、谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの叫びをあげています。

 

 今回は旧約聖書・詩編65編10-14節から、神の恵みを受け止めてまいりましょう。浜松近辺でもモミジの葉が色づいてきて、あちこちで収穫の感謝の祝いが持たれています。

 わたしたちは毎日、何を食べ、何を飲み、何を着ようか、どこに住むか、衣食住にたいへん悩んでいます。生きていくための生活の苦労です。このような生活の糧を「今日も、明日も、いつも、与えてください」と祈ります。神はわたしたちの生活の糧をも配慮してくださる神なのです。

 詩編65編は珍しい詩編と言っていいでしょう。詩編の多くは「嘆き訴え」のような祈り求めの詩です。ところがこの詩は、神の恵みの豊かさを歌い上げている神賛美の歌です。前半は、神が人の罪を赦し、赦された人が神をたたえ、神の豊かな祝福と守りがあることを歌い上げた喜びの歌です。そして、後半の10節からは、自然の世界の中で、人々に豊饒(ほうじょう)の恵みを与えてくれる神への感謝と賛美の歌となっているのです。

 詩人は、「あなたは地に臨んで水を与え、豊かさを加えられます。天上にある神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます」と歌います。「地に臨む」とは神の訪問を意味しています。この詩の作者は、神がご自分の造ったこの地を親しく訪問し、世界を祝福している光景として描いているのです。

 大地のすべての豊かさの根源は「水」にあります。神は、天上の「神の水路」から大地に水を与えてくださると歌います。天上から注がれる雨を慈雨として捉え、このように歌っているのです。この水によって「地は穀物を備えます」。

 「畝を潤し、土をならし、豊かな雨を注いで柔らかにし、芽生えたものを祝福してくださるからです」。大地を耕す農夫の作業が描かれ、その働きの結果が豊かに祝福されていると、歌います。さらに、詩人は「荒れ野の原にも滴り、どの丘も喜びを帯とし」と歌い、牧畜の世界にも目を注ぎます。緑の広大な「牧場は羊の群れに装われ」ます。自然の世界が大きな声を挙げて、神の祝福を喜び歌っていると感じているのです。「谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの叫びをあげています」。

 この詩は、天と地を造られた創造の神とその祝福の御手を歌い上げているのです。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)という、神による大地の創造の物語を受け止めて、自然界への神の祝福の恵みを歌い上げているのです。

 「あなたは豊作の年を冠として地に授けられます。あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています」と歌います。農夫にとっての栄誉ある王冠とは豊作です。「あなた」と呼ばれる神の訪れの足跡には祝福の「油が滴っている」のです。神は人の手の業を豊かに祝福し、その生活の必要を豊かに満たしてくださるお方なのです。

 神は、この世界のすべてを祝福し、満たしていてくださいます。太陽を与え、雨を与え、わたしたちがこの世界で生きていくことが出来るようにしていてくださいます。神は摂理の御手をもって、わたしたちを守り、支えていてくださいます。ですから、わたしたちは、「父なる神よ」と呼んで、衣食住、生活に必要なものを「今日も、明日も、いつも、与えてください」と祈ることが出来るのです。