· 

第237回 神のもとに身を寄せる

聖書=詩編91編1-6節

いと高き神のもとに身を寄せて隠れ、全能の神の陰に宿る人よ。主に申し上げよ、「わたしの避けどころ、砦、わたしの神、依り頼む方」と。神はあなたを救い出してくださる。仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。神は羽をもってあなたを覆い、翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、小盾。夜、脅かすものをも、昼、飛んで来る矢をも、恐れることはない。暗黒の中を行く疫病も、真昼に襲う病魔も

 

 今回は旧約聖書・詩編91編1-6節までを取り扱います。詩編91編は、危難の中にある人が神の御許に身を寄せる「神信頼」の歌です。特徴は神との関係が「わたし」、「あなた」という単数形で語られていることで、主なる神に信頼する者の平安が歌われていると言っていいでしょう。

 わたしたちの人生は、どこに、どのような危険が口を開けて待っているか分かりません。路上で突然見知らぬ人に襲われる時もあります。安心すべき病院で人に襲われる場合もあります。突然、巨大な地震や津波に襲われることもあります。それだけでなく、信頼していた友人に裏切られることもあります。わたしたちの人生は危険と隣り合わせというのが実際なのではないでしょうか。

 そのような危険に際して、わたしたちを「あなた」と呼びかけて、どこに安心と安全を求めたらいいのを教えているのです。この詩は、詩人自ら体験した事実に基づいてわたしたちに語りかけているのです。この詩の作者は、神を「いと高き神」、「全能の神」と呼んで、この神こそが「身を寄せて隠れる」ことの出来るただ1つの場所だと歌っているのです。

 「神のもとに身を寄せて隠れ」、「全能の神の陰に宿る」はヘブライ詩の平行法で、同じことを語っているのです。主なる神に信頼する者に呼びかけています。「主に申し上げよ」と呼びかける形をとります。詩人は、同じ体験へとわたしたちを招いていると言っていいでしょう。神信頼への呼びかけです。何と申し上げるのか。神を「わたしの避けどころ、砦、わたしの神、依り頼む方」と。

 これは宗教改革者ルターが経験し、歌った言葉と同じと言っていいでしょう。「神は我が砦、我が強き盾、すべての悩みを解き放ちたもう。悪しきものおごりたち、邪な企てもて戦を挑む」(讃美歌21/377)。ルターは、悪しき者たちの企ての中で、神だけを確かな避けどころとして、信仰に立って闘ったのです。

 危険に際して、信仰に立って闘う者に「仕掛けられた罠から、陥れる言葉から」、「神はあなたを救い出してくださる」のです。人の行く手には多くの危険が待ち構えています。人間によって仕掛けられたものもあります。「仕掛けられた罠」とは、狩人の仕掛けた巧妙な罠です。「陥れる言葉」とは、人を陥れる才知に溢れた微妙な言葉です。また自然界の「疫病」や「病魔」もあります。古代では「疫病」は直ちに死と破滅をもたらします。わたしたちは、これらの危険の中で生きていかねばなりません。

 しかし、「いと高き神」「全能の神」は、その全能の御手をもって救い出してくださるのです。母鳥がヒナをその「羽をもって」すっぽりと隠すように、「あなたを覆って」くださいます。「神のまことは大盾、小盾」と言います。神は「真実」をもって守ります。神ご自身が、大盾、小盾と言われる武具のようになってわたしたちを包み、飛んでくる火矢や槍などから「あなた」を守り抜いてくださいます。神ご自身が、あなたを、しっかりと身も心も守ると言われているのです。

 神を信じる者も、この地上で生きる時、多くの困難や危険に取り囲まれています。主イエスも「あなたがたには世で苦難がある」(ヨハネ福音書16:33)と言われました。しかし、神を避けどころとする人は、何者をも恐れる必要はありません。周囲の恐るべきものに対して、わたしたちは「神さま」と呼びかけて、神に信頼して、神の保護の中に逃げ込むならば、しっんりと守られるのです。