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第238回 復讐の中断を祈る

聖書=ローマ書12章17-21節

だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

 

 しばらく旧約詩編からお話ししてきましたが、今回は新約聖書・ローマの信徒への手紙12章17-21節を取り上げることとします。ロシア・ウクライナ戦争に続いて、パレスチナのガザという地域を実効支配するハマスという武装集団とイスラエル共和国との間で実質的な戦争状態が始まったからです。

 10月7日、ハマスによる突然のミサイル攻撃とイスラエルへの越境攻撃によって多くの民間人が千人規模で死傷し、境界近くにいた民間人の多くがガザ地区内に拉致・誘拐されました。これに驚いたイスラエル側は挙国一致内閣を作り反撃に出ました。ガザ地区に空爆を繰り返し、数千人規模の死傷者を出し、さらに地上戦を展開してハマスだけでなく、ガザに住むパレスチナ人(アラブ人)を徹底的に殲滅しようとしています。

 イスラエルとアラブ諸国との間で国交の正常化が進み、平和共存への光が見え始めたと思った矢先のことです。ハマスの奇襲攻撃で始まったことによって、世界中の非難がハマスに向かっていますが、ことは簡単なものではありません。ハマスが実効支配するガザ地区に住むパレスチナ人(アラブ人)は、圧倒的なイスラエルの武力によって完全に包囲され、檻の中での生活状態でした。種子島ほどの狭い地域に220万人が閉じ込められて生活しているのです。

 今回のハマスの攻撃は、決して正当化は出来ませんが、堪えに堪えてきたものが暴発したと言っていいでしょう。長年にわたるイスラエルからの徹底的な抑圧への報復でした。これに対して、今また、イスラエル側も圧倒的な武力をもって報復しようとしているのです。報復合戦が始まろうとしています。この報復合戦は、ぜひ避けねばなりません。世界は、武力による報復が行われないように祈り求めていかねばなりません。

 イスラエルとパレスチナ人との関わりには、長い歴史があり、簡単なものではありません。冷静に、公平に歴史を読み解いていく努力が求められていると言っていいでしょう。目先の出来事によって、早急に、一方的に、どちらかの善悪を決めつけることだけは避けねばなりません。

 ユダヤ教とイスラム教との戦いにしてはなりません。キリスト教会は、どちらかに肩入れすることには慎重であるべきです。聖書ははっきり報復を禁じています。上記の聖書の言葉に聴き従うことが求められています。「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」。

 キリスト教会、特にアメリカの教会などでは、また日本の教会でも、イスラエル側に肩入れしてしまいがちです。それは極めて危険なことです。すべてのキリスト教会とキリスト者は、両者にブレーキをかける務めを果たすべきです。

 キリスト者とキリスト教会の務めは、相手を生かす努力をしなければなりません。絶滅作戦などをしてはならないのです。イスラエルの人たちも第2次世界大戦中、ナチスによる民族絶滅の危機を味わってきたのですから、自分たちの味わった悲哀を他に与えてはならないのです。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。

 憎しみ、憎悪を中断させるのは、イエス・キリストの十字架です。互いに愛し合う道こそ、イエス・キリストの十字架によって産み出されるのです。神の敵であり、本来滅びるべき罪人のために,ご自身の血を流して贖いをしてくださった神の御子の犠牲があることを受け止めることです。イエスの十字架の意味を見失うところで、憎み合い、報復合戦が行われてしまうのです。世界のキリスト教の指導者、為政者たちの信仰が問われています。