聖書=マタイ福音書2章16-18節
さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」
イエス・キリストの誕生を記念し祝うクリスマスが近づいてきました。今回はマタイ福音書2章16-18節からお話しします。悲しい出来事を取り上げねばなりません。現在、世界中が戦乱の中にあります。ロシア・ウクライナ戦争が続いて、いつ停戦するか見通せません。その中で、ガザ地区を実効支配するハマスとイスラエルとの戦闘が始まりました。圧倒的な武力を持つイスラエルがハマスの絶滅を目指して、病院が攻撃され、泣き叫ぶ子らや女性の声、生まれたばかりの赤子が放置され死んでいく状況です。わたしたちの心は悲鳴を挙げています。
イエス誕生の時にも、イスラエルの地パレスチナで大量の幼児虐殺がありました。イエスが誕生してまもなく、東方から占星術の学者たちがヘロデ王の宮殿を訪ねて「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ねました。ヘロデは祭司長、律法学者たちを集めて「メシアはどこに生まれることになっているのか」と下問します。祭司長や律法学者たちは直ちにミカ書5章1節から「ユダヤのベツレヘムです」と答えます。
これを受けて、ヘロデは占星術の学者たちに「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言い、ベツレヘムへ送り出しました。ヘロデの本心は、新しい王を礼拝するのではなく、禍根を断つために幼児の内に殺してしまうことです。ところが、ベツレヘムに行って幼子イエスを礼拝した東方の学者たちは「ヘロデのところへ帰るな」と夢の告知があり、別の道を通って帰国してしまいました。
裏切られたヘロデは、どうしたでしょう。新しい「ユダヤ人の王」の禍根を取り除くために大量の幼児虐殺を行ったのです。「ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」。幼子の泣き叫ぶ声が、わたしたちにも聞こえてくるようです。
これはヘロデだけのことではありません。権力を握った為政者たちは、権力と地位を保持するためには、どんな非道なこと、残虐なことでも平気でします。世の権力者が狂気に狂う時、人の命は虫けらのように扱われます。アウシュビッツ、南京、広島・長崎、ソンミ、カンボジア、アフガン、ウクライナ、そしてガザと続いています。昔から今日まで至るところで、弱き者、赤子・幼子の泣く悲惨な出来事が起こり続けています。神から離れた人間の狂気の姿があるのです。
権力を持つ為政者の残虐行為の被害は弱者に集中します。乳飲み子、幼児、老人は弱者の代表です。自ら逃げる力もありません。抵抗もできません。殺されるままで泣き叫ぶだけです。声もでません。傍らには呆然とする母親の姿があります。この無残な光景を、わたしたちはどれほど見て来たでしょうか。
この事態に対して神は無力のように見えますが、神は生きて働くお方です。ヘロデは退けられます。イエスの誕生を受け入れなかったユダヤの民は、世界に散らされます。神は不思議な方法で報いを与えます。神の時があり、神の報いは人間的な報復ではありません。人間の残虐な行為の中でも神の計画は密やかに静かに成就していくのです。
聖書は、ヘロデの幼児殺害の中でも不思議に守られて成長していく無力な幼子イエスがいることを告げます。世の権力者たちのなす闇の業、残虐な行為の中でも神の神の救済の計画は遂行されていきます。残虐に対する残虐の報復ではありません。力に対する力の報復でもありません。神の御子が貧しい人となって、罪人の罪を担い、贖いをする十字架の道です。神は、神の仕方で救いと平和を回復し、神の勝利へと導いてくださるのです。