聖書=詩編121編3-6節
【都に上る歌。】
3 どうか、主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように。
4 見よ、イスラエルを見守る方は、まどろむことなく、眠ることもない。
5 主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。
今回は旧約聖書・詩編121編3-6節を取り扱います。この詩は序に「都に上る歌」とあり巡礼の歌です。田舎の村から数人が群れとなってエルサレムの神殿を目指して歩いて行く。そのような折りに旅立つ者と送り出す者の掛け合いで歌われた交唱の詩です。この3-6節は、旅立つ人を送り出す者の祈りの言葉です。
「どうか、主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように」と祈り、続けて「見よ、イスラエルを見守る方は、まどろむことなく、眠ることもない」と歌います。旅の無事を祈る祈りの言葉です。旅立つ者の無事と平安を神に委ねるのです。ここで歌われていることは、旅人と共にいる神は「まどろむことなく見守る神」であるという信仰です。どんな困難な旅路を歩んでも、神を信じる者の歩みには、神の確かな保護・守りがあるという確信の言葉です。
なぜ、このように確かな守りがあるのか。それは、神が「まどろむことなく」「眠ることもない」からです。この祈りの言葉には歴史的な出来事の裏付けがあります。イスラエルの民が出エジプトした時のことです。イスラエルにとって、最も大切な救出の出来事です。神が葦の海を分けて道を開いてくださり、その開かれた道をイスラエルの人々は駆け抜けたのです。後ろにはエジプトの軍勢が迫っています。
その時、主なる神は寝ずの番をされたと記されています。「その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた」(出エジプト記12:42)。これこそ、イスラエルの原体験です。神には、人間のような寝る・起きることはありませんが、この言葉で神の民イスラエルに対して注がれる神の愛の注視と守りを示しているのです。母親が我が子のヨチヨチ歩きをしっかり見守っているように、神は神を信じる者の歩みを見守り続けているのです。
旅人を送り出す者は「主はあなたを見守る方」と歌うと共に、新しい展開を物語ります。それが「あなたを覆う陰、あなたの右にいます方」という言葉です。神の見守りと共に、実際的、具体的な神の守護、守りがあるのだと歌います。「あなたを覆う陰」とは、日陰、木陰、あるいは天幕のことです。「あなたの右にいます方」とは、共に歩んでくださる神が旅人を保護する「天幕」となってくださるのです。
パレスチナの自然はたいへん厳しい。「昼、太陽はあなたを撃つ」のです。寒暖の差がまことに大きい。昼の「太陽」は灼熱の太陽で人を撃ちます。日中、無防備で歩くと日射病を起こします。夜は一転して寒気が襲い、霜が降り、人を震え上がらせます。厳しい自然環境で「昼、太陽はあなたを撃つ」、「夜、月もあなたを撃つ」のです。
このような自然の猛威の中でも、神はいつも「あなた」と一緒にいて具体的に守ってくださると歌うのです。「あなたの右にいます方」。以前の口語訳では「主はあなたの右の手を覆う陰」と訳します。新改訳2017も「主はあなたの右手を覆う陰」と訳しています。主なる神が手を伸ばしてわたしの木陰を造ってくださる、こういう訳し方です。
これに対して、新共同訳は「あなたを覆う陰、あなたの右にいます方」と訳します。神が手を伸ばしてわたしたちの木陰を造るだけではなく、神ご自身がその全身を差し伸べて天幕のようになり、わたしの全身を覆い、わたしを包み、守り抜いてくださるのだという表現なのです。わたしたちの人生の旅路には、神の完璧な保護が与えられているのです。