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第258回 出で立つのも帰るのも

聖書=詩編121編7-8節

【都に上る歌。】

7 主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように。

8 あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。

 

 今回は旧約聖書・詩編121編の7-8節からお話しします。この詩は神を信じる者の祝福と恵みが歌われています。序に「都に上る歌」とある巡礼の歌です。7-8節は、神殿礼拝に訪れた礼拝者を故郷に送り返す祭司の送別の祈りの言葉です。

 祭司は、礼拝者一人ひとりに「主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように」と祈ります。主なる神が、あなたを見守り、あなたを守ると語った後に、「あなたの魂を」と語ります。新共同訳では「魂」ですが、口語訳では「命」と訳し、古い新改訳も「命」でした。しかし、新改訳2017は「魂を守られる」と訳し、共同訳も「あなたの魂を」と訳しました。「ネフェシュ」というヘブライ語を「命」「魂」と両用に訳しています。それは「命」をどこに見るかです。

 この最後の部分で歌われているのは「命そのもの、魂を守る神」です。わたしたちの霊肉の全てを表す言葉です。神は、わたしが肉の命における生活のすべて、わたしの生涯そのものを守り抜いてくださいます。しかし、わたしの命はこの地だけでなく来るべき世においても存在します。神を信じる者には永遠の命があります。最近の翻訳では、この永遠の命に視点をおいて「あなたの魂」と訳したのです。

 神は、わたしと一緒に歩み、この地上のどんな困難な歩みの中でも、わたしの「命」を守り抜いてくださいます。しかし、この詩編の詩人の視線は、地上の生だけでなく、「永遠の世界」をもしっかりと見つめているのです。わたしたちには「永遠の命」が与えられています。この「永遠の命」を「あなたの魂」と呼び、これこそ、わたしたちの最重要な課題です。

 詩編121編の作者は、エルサレムへと旅立つ巡礼者の姿の中に、この地上の生を超えて永遠の世界へと歩みを続けるわたしたちの魂の道筋を見つめているのです。わたしたちのこの世での歩みは永遠の神の国へと続く歩みなのです。その中で、主なる神は変わずに、あなたを見守る方、あなたと一緒にいて、あなたの魂を永遠に至るまで堅く守り続けてくださると語っているのです。

 地上の歩みの中で、わたしは主と出会い、「同行二人」で歩み、主はすべての災いを遠ざけてくださいます。それだけでなく、わたしが地上から天上へと歩みを進める時にも、一緒にいて「すべての災いを遠ざけ、あなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださる」のだと歌っているのです。

 この詩編の詩人は、故郷の村からエルサレムを目指して旅立とうとする旅人を見送ります。そして、神殿での礼拝を終えて帰り行くのは再びの「我が故郷」です。しかし、この詩の作者の視線は、それをはるかに超えています。その遙かな視線を礼拝者を送り出す祭司の言葉に託しているのです。地上の苦労多い生活から始まり、やがて永遠の御国へと歩みを進めるわたしの道筋が、ここに歌われているのです。

 わたしは今、この地上にいますが、神の国を目指しての旅路の途上です。そのすべての旅程が守られるという神の保証の言葉です。「あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように」。わたしの出所進退、全ての生、病気であれ、旅路であれ、死の陰の谷を歩む時であれ、その全てにおいて神は「同行二人」でしっかり守ることが語られているのです。神の永遠保持が歌われているのです。

 根底にあるのは、神の子である「あなた」に対して注がれている神の一筋の愛です。母親がその産んだ児に対するように、神を信じて生きる者に対する神の注視と情愛です。この神の情愛、神の慈愛が、「今も、そしてとこしえに」あなたに注がれているのだと歌われているのです。わたしたちは自分の上に注がれている神の慈愛、神の情愛のまなざしを受け止めて、日々の歩みを続けてまいりましょう。