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第273回 老詩人の祈り

聖書=詩編71編18-20節

18 わたしが老いて白髪になっても、神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を、来るべき世代に語り伝えさせてください。

19 神よ、恵みの御業は高い天に広がっています。あなたはすぐれた御業を行われました。神よ、誰があなたに並びえましょう。

20 あなたは多くの災いと苦しみを、わたしに思い知らせられましたが、再び命を得させてくださるでしょう。地の深い淵から、再び引き上げてくださるでしょう。

 

 今回は旧約聖書・詩編71編からお話しします。冒頭には18-20節を記しましたが、聖書をお持ちの方は71編全体をお読みください。個人の嘆きの歌に分類されていますが、年老いた人の祈りの詩です。わたし自身も高齢者となり何事をするにも疲れを覚え、この詩の作者の想いに同調を感じているところです。

 この詩の作者については不明ですが、若い時から神に仕えてきたと語っています。「主よ、あなたはわたしの希望。主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み、母の胎にあるときから、あなたに依りすがって来ました。あなたは母の腹から、わたしを取り上げてくださいました」と。

 さらに「繰り返し、あなたを賛美します。わたしの口は恵みの御業を、御救いを絶えることなく語り、なお、決して語り尽くすことはできません」とも語っています。預言者ではありませんが、公的に神の言葉・律法を語ることを託されていた祭司階級あるいはレビ人の一人ではないでしょうか。母の胎から生まれ出る以前から神の取り扱いの中にあったと感じ、生涯、神を賛美し、神の恵みの御業、救いの御業を語ることを使命として生きてきたのです。

 レビ人には「定年」がありました。幕屋や神殿で奉仕できるのは「三十歳以上五十歳以下の者たち」(民数記4:47)と規定されていました。今日、50歳などはまだ若いと思われますが人生50年の時代です。この詩の作者も老齢になり、神殿での奉仕から外されていたのではないでしょうか。

 詩の作者は自らの老いを実感して神に訴えています。9節「老いの日にも見放さず、わたしに力が尽きても捨て去らないでください」。18節「わたしが老いて白髪になっても、神よ、どうか捨て去らないでください」。繰り返し同じような言葉で、神に訴えています。年老いて働きの場を離れると人との交わりが希薄になります。家族も少なくなり仲間も失われていき、しだいに孤独が増してきます。

 詩人は、なおも神への奉仕に心が燃えています。残りの生涯で何をしたいのかというと、「御腕の業を、力強い御業を、来るべき世代に語り伝えさせてください」と祈り、年老いても志は衰えません。神の恵みの御業をしっかりと次の世代に語り伝えたいと願っています。神の恵みを伝えることは、自分の長い人生の中で味わってきた信仰の経験を語ることです。神の恵みの広大さ、すぐれた御業は自分の見聞してきた事柄なのです。

 老年になった今、この詩人は非常に重い病に冒されているのではないでしょうか。老いは現実です。「あなたは多くの災いと苦しみを、わたしに思い知らせられました」と語っています。20節の「地の深い淵」とは、旧約では「陰府」と言われる死者の世界を意味します。詩人は死の淵に追い詰められるような重い病に苦しんでいるのです。気力も萎え果てています。

 その中で、詩人は神に生きる希望と期待を語るのです。陰府の淵に佇んでいるような状況の中で、しかし、神は自分に「再び命を得させてくださるでしょう。地の深い淵から、再び引き上げてくださるでしょう」と。旧約聖書では直接的に復活について語ることはありません。この詩人が望み見ているのは死の彼方です。重い病に冒され、死を目前にしています。人は誰も死を逃れることは出来ません。

 この詩人は自分の死を自覚しています。しかし、神に命の望みをかけているのです。神は永遠です。その永遠の神と共に生きる者も永遠の命にあずかるのだと。「再び命を得させてくださる」「死の深い淵から再び引き上げてくださる」と、永生を望み見ているのです。キリストにある復活の希望の先取りと言っていいでしょう。