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第276回 あなたの革袋にわたしの涙を

聖書=旧約聖書・詩編56編9-12節

 9   あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に、それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。

10  神を呼べば、敵は必ず退き、神はわたしの味方だとわたしは悟るでしょう。

11  神の御言葉を賛美します。主の御言葉を賛美します。

12  神に依り頼めば恐れはありません。人間がわたしに何をなしえましょう。

 

 今回は旧約聖書・詩編56編9-12節を取り上げます。この詩編は多くの詩編講解者でもあまり取り上げません。わたしがここで取り上げる理由は9節の「あなたの記録」、「あなたの革袋」という特有な言葉に心惹かれてのことです。

 この詩には長い序文が付いています。【指揮者によって。「はるかな沈黙の鳩」に合わせて。ダビデの詩。ミクタム。ダビデがガトでペリシテ人に捕えられたとき。】この詩の作者について、この序文通りにダビデと理解していいと考えています。彼の信仰的な苦闘、数奇な人生行路、詩人としての文才などから相応しいと考えます。

 詩人は今、多くの困難に取り囲まれています。その困難は敵対する人々が多いことです。「わたしは人に踏みにじられています。戦いを挑む者が絶えることなくわたしを虐げ、陥れようとする者が絶えることなくわたしを踏みにじります。……多くの者がわたしに戦いを挑みます」と訴えています。

 さらに続けて語ります。「人々はわたしに対して災いを謀り、待ち構えて争いを起こし、命を奪おうとして後をうかがいます」と。詩人の直面している艱難は、決して内面的、個人的な事柄と言うだけのことではありません。現実に多くの敵がいて、詩人の滅亡を計画し、詩人に戦いを挑み、その命を奪おうとしているのです。

 その困難の中にありながらも、詩の作者は涙を流しながら神に祈り、神を賛美をするのです。「恐れをいだくとき、わたしはあなたに依り頼みます。神の御言葉を賛美します。神に依り頼めば恐れはありません。肉にすぎない者が、わたしに何をなしえましょう」と祈ります。詩人は決して絶望していません。神に信頼して目の前にある困難に立ち向かっているのです。

 詩人は祈ります。「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に、それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください」と。神への嘆き訴えの中で語られた神信頼の言葉です。旧約聖書の1つの表現ですが、神の御許には「わたしたち一人ひとりの記録の書」があると信じられています。神の記憶の比喩と言っていいでしょう。その記録の書に、わたしたちの切実な嘆き訴えの言葉が記録されている。それは、わたしたちの訴えが虚しくならないためです。わたしたちをやがて救いの中に導き入れ、救いに回復するための慈愛の記憶なのです。

 詩人は数えきれないほどに神に嘆き訴えてきました。その1つ1つの嘆きの言葉が神の記録に載っていて、神は応えてくださるという信頼の言葉です。わたしたちも、何度も何度も、神に嘆き訴えてきました。その嘆きの言葉は決して虚しくないのです。神の御許にしっかり記録されていると語るのです。

 「あなたの革袋」も同じです。神はわたしたちの流す「涙を見て」、御許にある革袋にしっかり蓄えていてくださいます。この革袋を小袋程度に考える人もいますが、わたしは普通の革袋を考えます。革袋はぶどう酒や水を入れて運搬するもので相当な大きさがあります。わたしたちの人生で流す嘆きの涙は決してほんの数滴ではありません。涙の人生なのです。

 日本語には「滂沱(ぼうだ)の涙」という言葉があります。涙がとめどなく流れる様を表す言葉です。長い人生の中で流す涙は、まことに際限がなく革袋を満たすほどなのではないでしょうか。現在、最も激しくとめどなく涙を流しているのは、パレスチナのガザの人たちです。その人たちの流す涙の一滴一滴が神の革袋にしっかりと蓄えられていて、神はその涙を見て応えてくださいます。