聖書=詩編82編1-8節
1 【賛歌。アサフの詩。】 神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる。
2 「いつまであなたたちは不正に裁き、神に逆らう者の味方をするのか。
3 弱者や孤児のために裁きを行い、苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。
4 弱い人、貧しい人を救い、神に逆らう者の手から助け出せ。」
5 彼らは知ろうとせず、理解せず、闇の中を行き来する。地の基はことごとく揺らぐ。
6 わたしは言った。「あなたたちは神々なのか、皆、いと高き方の子らなのか」と。
7 しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する。
8 神よ、立ち上がり、地を裁いてください。あなたはすべての民を嗣業とされるでしょう。
今回は旧約聖書・詩編82編1-8節をお話しします。この詩は「嘆きの詩」に分類されますが、単なる嘆きの詩ではありません。地上の苦悩と共に、天上の光景を垣間見せてくれる興味深い詩です。1節と6節で「神々」という言葉が出てきます。この「神々」をどのように理解するかによって、この詩の「神聖な会議」を天上の会議と見るか、地上の会議とみなすか、理解が分かれます。今日の聖書学では、神と天使たちとの会議と理解するのが普通です。旧約の中には「天の会議」についての記述が幾つか記されています。神の義が貫かれる天上の裁きの光景です。
8節「神よ、立ち上がり、地を裁いてください」と、詩人の嘆き訴えが記されています。神こそ、天上でも地上でも唯一のまことの裁判官です。詩人は、神に向かって神の義によってこの地の矛盾、不合理が裁かれるようにと祈り、この嘆き訴えが論告となっているのです。神は天上で一切の権能を持たれます。地上でもそれが反映するようにと祈るのです。嘆き訴えが神によって採り上げられます。
神は今、天上で天使たちを集めて、会議または法廷を持っておられます。「神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる」。神は、これら天使たちを裁かれます。2節から4節はカギ括弧「」で区切られています。この部分は、神が決定を下す宣言の言葉です。「いつまであなたたちは不正に裁き、神に逆らう者の味方をするのか。弱者や孤児のために裁きを行い、苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。弱い人、貧しい人を救い、神に逆らう者の手から助け出せ」。
神の判決は明快です。神は弱き者、孤児や貧しい人、苦しむ者の味方です。彼らのために裁きを行え、この人たちの言い分を聞け、この人たちの権利を擁護し、救い出せ、と命じています。弱き者たちが不当に苦しむのは、神に逆らう者たちの味方となっている「あなたたち」天使の職務怠慢のためだと詰問しているのです。天使は本来、神の使いで神の意志を帯して、神の代理者として活動・奉仕すべき存在です。その天使の一部があろうことか、地上の悪人たち、神に逆らう者たちに好意を示し、その結果、弱い者、貧しい者、孤児などが不公正に取り扱われていると叱責するのです。
天使たちの実情を暴露します。「彼らは知ろうとせず、理解せず、闇の中を行き来する」と。「彼ら」は悪しき天使たちです。彼らは、神の意志を知ろうとせず、神の御心を理解しないで、闇の中を行き来しているのです。その結果、「地の基はことごとく揺らぐ」。悪しき天使たちの悪行が地上の道徳的秩序の基盤を崩壊させているのです。神は悪しき天使たちへ皮肉を言います。「あなたがたは神々なのか」と。人から見たら神に等しい力を持ち、天的な崇高な存在とされています。その崇高な存在が裁かれるのです。悪しき天使への判決です。「あなたたちも人間として死ぬ」と。天使の永遠性の剥奪で、滅びと天上からの追放が語られます。
この悪しき堕天使とは、実際は誰のことでしょう。地上の権力者たちなのです。「君侯」とは為政者たちです。為政者は本来、神の代理として、神の御心を知り、神の慈愛を理解して、民を裁き・政治を行わねばならない。ところが、神の御心知ろうともせず、御心を無視して、闇の中で堂々と不正や不義を行っています。
これは、今日の日本の姿です。我が国の為政者たちは闇の中で利益を儲け、民の困窮などには顧みもしません。詩の作者は、天における神の義と公正の貫徹は、結果として必ず地上に現れると確信し、神の法廷に訴えているのです。国の為政者たちへの神の厳しい審判は必ず行われます。