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第285回 低く下って…ご覧になる

聖書=詩編113編4-9節

4  主はすべての国を超えて高くいまし、主の栄光は天を超えて輝く。

5  わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き

6  なお、低く下って天と地を御覧になる。

7  弱い者を塵の中から起こし、乏しい者を芥の中から高く上げ

8  自由な人々の列に、民の自由な人々の列に返してくださる。

9  子のない女を家に返し、子を持つ母の喜びを与えてくださる。ハレルヤ。

 

 今回は旧約聖書・詩編113編4-9節を取り上げます。この詩編113編はハレルヤ詩編集と言われるものの1つです。詩の初めか終わりに「ハレルヤ」(主を賛美)という言葉が記されています。捕囚期後の作品で神殿での祝祭、仮庵祭、過越祭などで神殿聖歌隊によって歌われたようです。また、この詩は旧約のハンナの祈り(サムエル記上2:1-10)と新約のマリアの賛歌(ルカ福音書1:46-55)の橋渡しをするような位置にある「革命の歌」とも言えます。

 この詩編の基調は神賛美への招きです。「ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ」と、神賛美への招きが繰り返されます。主の御名を賛美することが「今よりとこしえに」永遠から永遠に絶えることのないように、「日の昇るところから日の沈むところまで」至る所でなされるようにと、時空を超えて普遍的に呼びかけています。

 この詩の特徴は、このような神賛美へと人を招く根拠を歌い上げていることです。1つは、神の超越的な高さと栄光です。「主はすべての国を超えて高くいまし、主の栄光は天を超えて輝く。わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き」と歌います。人間の歴史、国々に超越し、他に比べることの出来るものは何もないという絶対的な超越性が歌われています。「主は御座を天よりも高く置き、栄光に輝く」お方です。天も被造物で天をも超えておられるという告白です。

 しかし、その栄光の神が「低く下ってくださる」、へりくだり・謙譲の神であることが賛美されるのです。これが、この詩の第2の特徴、最大の神賛美の理由です。超越の栄光の神「御座を高く置く」お方でありながら、「なお低く下って天と地を御覧になる」と歌われます。共同訳「低きに下ってご覧になる方」と、新改訳2017「身を低くして天と地をご覧になる」と訳しています。

 確かに、神の御座は天にあります。神は栄光の神です。神であることを止めたのではありません。しかし、高い御座におられる神が、身を低くし、身をかがめ、地の低きに下り、天と地の営みをじっとご覧になる、覗きこんでしっかり見て下さる、と歌われているのです。栄光の神であるお方が、人間と同じ位置に立ち、同じ視座から天を仰ぎ、視線を低くし地の有様をご覧になって下さるのです。

 ここに、やがて後に、マリアから肉体を採られて、人となり、わたしたち人間の世界に訪れた神、イエス・キリストが語られていると理解します。へりくだられた神です。このお方のなさることは、一言で言うと逆転の恵み、恵みの革命と言えます。この背景には、サムエル記上2章8節のハンナの祈りがあります。「弱い者を塵の中から立ち上がらせ、貧しい者を芥の中から高く上げ、高貴な者と共に座に着かせ、栄光の座を嗣業としてお与えになる」。貧しく、いやしめられている無力な者たちが、高く上げられるという祈りです。

 婦人にとって子がないことは、古代オリエントの世界では離婚の立派な理由です。そのような女性に対して家庭を与え、母として回復して下さいます。喜びと平安と希望の回復です。これは、やがて後にマリアの賛歌に示されるキリストによる神の救済の恵みへと至るのです。その救済は革命的でした。神は「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださり」、偉大なことをなさいました。

 マリアから一人の人として生まれたイエスというお方は、女性の権利の回復だけでなく、貧しく弱き者たちのために構造的な回復の恵みを与えてくださいます。「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」(ルカ福音書1:48-53)。詩編113編は、極めて長い歴史のスパンで神の救済の到来を歌い上げた預言者的な詩と言うことが出来ます。