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第295回 倒れる人を起こしてくださる主

聖書=詩編145編14-16節

14  主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。

15  ものみながあなたに目を注いで待ち望むと、あなたはときに応じて食べ物をくださいます。

16  すべて命あるものに向かって御手を開き、望みを満足させてくださいます。

 

 今回は旧約聖書・詩編145編14-16節からお話しします。この詩編は「アルファベットによる詩」で、各節の文頭がヘブライ語のアルファベットで始まる技巧的な詩です。序に「ダビデの詩」となっていますが、捕囚から帰還後の第二神殿の時代、神殿での礼拝祭儀のために作られた詩と推測されています。

 この個所を選んだのは、旧約聖書の中で、この個所の文言がたいへん優れた神理解を示しているからです。詩人は「主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます」と歌います。一人ひとり、個人に目を留めて、愛をもって一人の人に臨んでくださる神が示されているのです。今、まさに倒れてしまいそうになる人に対して、倒れてしまうことを許さないお方がおられる。それが主なる神だと語っているのです。神は、人が倒れないようにしっかり彼の手を取って支えてくださいます。

 十把一からげではありません。一人ひとりに対してです。倒れようとする人には、その人なりの違った理由があります。まとめて面倒みるというのではありません。一人ひとりに向き合い、個別の人として、その人の悩みや痛みを理解し、それぞれの弱さに応じて、抱える問題に応じて、支えてくださるのです。

 それでもなお、力なく「うずくまってしまう人」がいます。その人に対しても、神は手を伸ばして「引き起こしてくださいます」。弱くうずくまってしまうような人たちへの暖かく柔らかな視線があるのです。

 わたしも、数年前、疲れやすく、下腹部に強烈な痛みを感じて、医者に行き検査すると胆嚢炎と言われ、コロナ禍の中でしばらく入院したことがあります。体の痛みだけでなく、精神的にも辛さを経験しました。体も心も倒れ伏し起き上がれませんでした。その中で、この詩編の言葉を読みました。もし今、倒れ伏し、一人うずくまるような思いでいる方がおられるなら、神へと手を伸ばしてみてください。神は必ずあなたの手を取って引き起こしてくださいます。

 詩人は、さらに語ります。「ものみなが、あなたに目を注いで待ち望むと、あなたは時に応じて食べ物をくださいます」。「ものみなが」とは珍しい表現です。「すべてのもの」です。ユダヤ人、異邦人、一切の隔てなく「すべてのもの」を指す言葉です。わたしたちすべての者が、神に目を注いで祈ると、神はそれに応えてくださるというのです。「神よ」と祈る者の祈りに応えてくださいます。

 「あなたは時に応じて食べ物をくださいます」。ここでは食べ物のことが語られています。必死に食を求めて神に祈り叫ぶ者は貧しく弱い者です。神は貧しく弱い者に目を注いで、切なる祈りに応えてくださる神です。社会から除け者にされ、見放されている人に対しても、神はジッと目を注いでくださいます。そして、貧しく弱い者が「神よ」と叫ぶ時、神は必要なものを与えてくださいます。

 さらに詩人は、神は「すべて命あるものに向かって御手を開き、望みを満足させてくださいます」と語るのです。「すべて命あるもの」とは、信仰者に限定しません。弱さを担い、困窮しているすべての者への福音です。わたしたちの痛みや悩み、すべての必要を知って、望みを満たしてくださる希望の神です。わたしたちの切なる望み、生きる望みに対して「御手を開いてくださる」のです。

 ここで歌われているのは、わたしたちを両手を広げて迎え入れてくださる神です。この詩編145編で語られる神の理解は、新約のキリストにおいて示された「神理解」であると言っていいでしょう。イエス・キリストは、倒れてうずくまるわたしたちを立ち上がらせてくださるために、この地に来られたお方です。イエス・キリストは、わたしたちの病と痛みと弱さを深く知り、一人ひとりの手を取って立ち上がらせ、神と共に生きる新しい命の道へと導いてくださるのです。