聖書=詩編150編1-6節
1 ハレルヤ。聖所で、神を賛美せよ。大空の砦で、神を賛美せよ。
2 力強い御業のゆえに、神を賛美せよ。大きな御力のゆえに、神を賛美せよ。
3 角笛を吹いて、神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて、神を賛美せよ。
4 太鼓に合わせて踊りながら、神を賛美せよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて、神を賛美せよ。
5 シンバルを鳴らし、神を賛美せよ。シンバルを響かせて、神を賛美せよ。
6 息あるものはこぞって、主を賛美せよ。ハレルヤ。
2025年、明けましておめでとうございます。新しい年の最初のショートメッセージとして旧約聖書・詩編の最後150編からお話しします。これをもって、しばらく続けてきた連続の詩編からのお話しは終わりにします。この150編は全編が神賛美への招きで詩編全体の結びとなっています。編集作業の完了に際して、冒頭を飾る第1編と共に、詩編末尾を飾る歌として作られ、神殿礼拝の場で神殿聖歌隊によって歌われ朗唱されました。
詩編は、信徒の家庭の礼拝においても歌われ、個人の祈りの時にも用いられました。詩編は神の民の祈りを導く祈りの言葉でもありました。今日のキリスト者も詩編の言葉を通して祈りを学び、神を歌い賛美するのです。
詩編150編は、「神を賛美せよ」という言葉で貫かれています。11回繰り返されています。賛美する場として「聖所で」、「大空の砦で」と歌われます。神は、神殿の礼拝において賛美されるお方であると共に、いずこにおいても、野外での集いでも賛美されます。神はいずこにもおられる遍在の神です。
「力強い御業のゆえに」「大きな御力のゆえに」とは、賛美の理由、賛美の根拠です。天地を造られた神の力強い御業、イスラエルを出エジプトさせた神の救済の大きな力、バビロンから民を解放した神の力、イエス・キリストにおいて示された救済の恵みの出来事が物語られ、根拠とされているのです。神の恩寵のみ業、恵みの御業のゆえに、感謝をもって「神を賛美せよ」と高らかに歌います。
この詩編は、当時の神殿聖歌隊の楽器編成についての知識を与えてくれます。キリスト教会には物事を窮屈に考える人たちがいます。礼拝で伴奏楽器を禁じている教派があります。ユダヤ教のシナゴーグ(会堂)礼拝に起源を持つ考え方です。シナゴーグ礼拝は現在でもアカペラ(無伴奏)です。素晴らしい聖歌隊を持っていますが、男声のみのアカペラで伴奏楽器は一切使用しません。
実は、シナゴーグ礼拝は旧約の民本来の礼拝ではありません。シナゴーグ礼拝はバビロン捕囚期に始まると言われますが、基本的に「律法の朗読」の場なのです。動物犠牲を捧げる神殿礼拝こそが本式の神礼拝の場なのです。現在のユダヤ教でも神殿は失われていて、シナゴーグ礼拝だけになっているのです。
それに対して、キリスト教会の礼拝は全く違います。神の小羊であるイエス・キリストの犠牲、贖いの血が捧げられ、罪の贖いは全うされているのです。キリスト教会の礼拝は、神の小羊が捧げられたキリストの贖いの上に成り立っている「まことの礼拝」なのです。わたしたちはこの自覚に立たねばなりません。
この詩編から、第二神殿時代の礼拝、神殿聖歌隊で具体的に用いられた楽器の種類が分かります。「角笛」は吹奏楽器です。「琴と竪琴」、ハープなどの弦楽器でしょう。「太鼓」は打楽器です。「弦をかき鳴らし」、いろいろな種類の弦楽器があったようです。「シンバル」は打楽器です。今日のオーケストラの楽器編成と言ってもいいでしょう。あらゆる楽器をもって「神を賛美せよ」という勧めです。祭司、レビ人、一般会衆が各自の楽器を持ち寄って「賛美せよ」という勧めの歌です。あらゆる人々がそれぞれの楽器を持ち寄って、歌い、「踊りながら」「神を賛美せよ」と勧められています。壮大な神賛美の光景です。神礼拝とは神賛美なのです。
最後に「ハレルヤ」の神賛美の広がりが語られます。「息あるものはこぞって」と招かれています。「息あるもの」とは、旧約の神の民だけでなく、新約の民も含まれます。さらに、すべての人々、命が与えられている生きとし生けるもの全てに呼びかけられます。草木や全ての生き物が神を賛美するようにと招かれています。終末の完成における神賛美を映し出しているのです。神を賛美することは、すべての被造物、全ての生けるものの最高の喜びであり、使命であり、終末の完成の姿なのです。