聖書=マルコ福音書1章1節
1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
「オープンチャーチ・牧場」のショートメッセージとして、これからしばらく新約聖書の福音書の解説を中心にしていきます。「マルコによる福音書」を中心に取り上げて直接的に主イエス・キリストの恵みについてお話ししようと願っています。
牧師の現役を引退して久しくなり、聖書の注解書や辞典などの参考資料はほとんど断捨離してしまいました。そのため、きちんとした解説は出来なくなりましたが、聖書テキストから、わたしが恵みの言葉として感じ、受け止めたキリストの恵みを自由にお伝えしようと願っています。
「マルコ福音書」の著者マルコは、主イエスの直弟子でも使徒でもありません。二世紀前半に記された書物に「マルコはペトロの通訳で、ペトロの思い起こすことを皆正確に書いた」と書き残されています。ペトロがエルサレムでヘロデ王に捕らえられ投獄された時、奇跡的に救出されて「ペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた」(使徒言行録12:12)と記されています。ここに記されている「マルコと呼ばれていたヨハネ」(通称ヨハネ・マルコ)が、この福音書の著者と言われています。
冒頭にマルコ福音書の最初の言葉を記しました。「神の子イエス・キリストの福音の初め」。これはマルコ福音書の表題であると共に、この福音書が提示するメッセージの「結論」とも言える大事な言葉です。この福音書は、紀元50年代の中頃、おそらく4つの福音書の中で最も早く記されたのではないかと言われています。紀元30年と言われているイエスの十字架の死と復活の出来事から20数年後です。この時代は、まだユダヤ教とキリスト教とは明確に一線が引かれてはいませんでした。
この時代、主イエスの弟子たちは、周囲のユダヤ教社会から厳しく問われていました。それは「イエスとは何者か」と言う問いでした。この問いは、ユダヤ教側からだけでなく、ユダヤ教から分離して独自の歩みを始めて、世界に福音を伝えるために、主イエスの弟子たち自身が自分たちの信仰を明確にしていくためにも迫られていた極めて重要な問いでもありました。
「イエスとは何者か」、「イエスという人は、どういう方なのか」。この問いかけに応えようとしているのが、このマルコ福音書です。福音書は、イエスの人物伝、伝記とも言えましょう。しかし、単なる伝記でもありません。由木康と言う人が作った讃美歌に「この人を見よ」という詩があります。
「(1)馬槽の中に産声上げ、木工の家に人となりて、貧しきうれい、生きる悩み、つぶさになめし、この人を見よ。(2)食する暇も打ち忘れて、虐げられし人を訪ね、友なき者の友となりて、心砕きし、この人を見よ。(3)すべてのものを与えし末、死のほか何も報いられで、十字架の上に挙げられつつ、敵をゆるしし、この人を見よ。(4)この人を見よ、この人にぞ、こよなき愛は現れたる、この人を見よ、この人こそ、人となりたる、活ける神なれ。」(讃美歌第1編121)
ここに、主イエスというお方の生涯が簡略に描写されています。「イエスとは何者か」という問いに対して、マルコ福音書は、イエスの生涯、特に公生涯と言われている伝道活動に立ち上がったイエスの活動、その言葉とみ業を、主イエスの最初の弟子となったペトロの視座から描いて応えようとしていくのです。
「この人を見よ」の一言に尽きます。ご一緒にマルコ福音書を読んでください。そして、マルコが語り、証言する主イエスに目を注いでください。「イエスとは何者」が、しだいに分かってまいります。これから、マルコ福音書から、わたしの聴き取ったメッセージ、「如是我聞」、福音の恵みの言葉を記していくこととします。皆さまも、お手元の聖書を開いてお付き合いください。