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第304回 わたしよりも優れた方

聖書=マルコ福音書1章5-8節

ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

 

 今回はマルコ福音書1章5-8節からお話しします。ここには洗礼者ヨハネの活動が記されています。「ヨハネ」の名を持つ人は福音書の中に多く登場します。ここに記されているヨハネを区別するため「洗礼者ヨハネ」と記します。洗礼者ヨハネの誕生物語はルカ福音書1章57-80節に詳しく記されています。母がエリザベト、父がザカリアで、彼の誕生はイエス誕生に先立つ半年ほど前のことでした。

 洗礼者ヨハネの活動がいつ頃始まり、どの程度の活動期間であったかは分かりません。彼の激しい活動は主にヨルダン川周辺で行われましたが、「ユダヤの全地方とエルサレム」で多くの人の注目を集めました。洗礼者ヨハネの活動の中心は、イスラエルの人々への「悔い改め」の勧めでした。彼の語った悔い改めは神への立ち帰りでした。洗礼者ヨハネの聴衆はユダヤ人、イスラエルの民です。全能の神を信じている割礼の民です。割礼の民が背神していたのです。

 この時代、ユダヤとエルサレムは相当程度に繁栄していたと言っていいでしょう。ローマ帝国の植民都市になっていましたが、「ローマの平和」を享受していました。ヘロデ大王によるエルサレム神殿の拡大・増改築が進められ、神殿礼拝は盛んでした。祭司階級などの上流支配階級の人々の生活は豊かでした。

 しかし、上下にかかわらず多くの人の心は神から離れていました。貧富の格差は広がり、律法への服従は上辺だけとなり、人々の心には不安が満ちていました。このままでは神の怒りに遭うのではないか。その民衆の不安の心に洗礼者ヨハネのメッセージが届いたのです。「悔い改めよ」と。そこで「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」のです。

 この活動の中で、洗礼者ヨハネはイエスの到来を予告したのです。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」と語ったのです。

 洗礼者ヨハネの最も大切な「主の道を整える」使命は、主イエスをユダヤ社会に紹介することでした。「わたしよりも優れた方が、後から来られる」と語り出します。「わたしよりも優れた方」とは比較的に優れたではなく、質的に全く優れたということです。それが「その方の履物のひもを解く値打ちもない」という表現です。

 洗礼者ヨハネは「わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」と語ります。この言葉はしばしば誤解されます。洗礼者ヨハネの洗礼は「水の洗礼」で、イエスの洗礼は「聖霊の洗礼」と簡単に区別してしまいます。ヨハネの洗礼も聖霊の働きなくしてはあり得ません。イエスの洗礼も水を用います。ヨハネの言葉で語られていることは、どういうことなのでしょうか。

 洗礼者ヨハネの洗礼は「悔い改め」のしるしです。旧約の神の民である証印は「割礼」です。ユダヤ人の男子は生まれて8日目に割礼を受けて神の民として承認され、社会に受け入れられます。ヨハネの洗礼は新しい身分の獲得ではなく、文字通り「罪を告白して」神に立ち帰る悔い改めの印です。

 それに対して、やがてのイエスが制定した新約の洗礼は全く意味を異にします。「父と子と聖霊の御名」(三位一体の神の御名)による洗礼です。ユダヤ人であれ、異邦人であれ、悔い改めて、主イエスの弟子の群れであるキリストの教会に加わる証印なのです。聖霊によって生み出されたキリスト教会を形成する洗礼です。洗礼者ヨハネが「聖霊で洗礼をお授けになる」と語った意味はここにあるのです。

 洗礼者ヨハネは「荒れ野で叫ぶ声」としてイスラエルの荒れ野で神に立ち帰る「悔い改め」を宣べ伝えました。イスラエルの民の罪を激しく指摘し、神の裁きの到来を語り続けました。その中で、イエスはこの罪からの救い主として来られたのです。